第21章: マノナッシュ
1951年· ババ 57歳ページ 2,998 / 5,444
ですから、マノナシュ[心の消滅]は不可能です。しかし、たとえ完全でなくても、無私の行為が粘り強く続けられるなら、心(こころ)が永久に平安である段階に到達します。それは神を見ますが、まだ破壊されてはいません。もしバクティ[献身]を通して、絶え間ない献身が達成される献身の段階に到達するなら、この心(こころ)の平安と神を見ることが訪れます。ですから、もし人が「私は神です。私は身体ではありません」と言い、すべてを犠牲にしてでも一〇〇パーセントの誠実さでその言葉を続けるなら、この心(こころ)の平安は達成されます。しかし、マノナシュ[心の消滅]のためには、常に一つのことがあります。自由な御方は、他者の心(こころ)を、群衆の心(こころ)でさえ、根こそぎにすることができます。アバターたちでさえ、自分たちの心(こころ)を根こそぎにしてもらうために、そのような完全なる御方たちを必要としました。1
要するに、マノナシュ[心の消滅]に至り、あなたが神であり、無限であり、永遠であると感じさせる道は、これらすべてなのです。しかし、自分の性質から一歩も出られない時、どうして愛しいお方の門口に入ることを望めるでしょうか、という言葉は正しく言われています。
異なる道をたどる人々は、それぞれ異なる困難に出会います。瞑想の技法を知らない者の中には、狂ってしまう者もいます。女性を見ることさえしてはならない、と言う者もいます。彼らはそのことについて、ひどく神経質になります。
事実は、私たちは神であるのに、この恥知らずな心(こころ)に惑わされているということです。心(こころ)はあまりにも恥知らずなので、それを取り除きたいと願えば願うほど、いっそうそれに絡め取られます。ちょうど泥から片足を抜こうとすると、もう片方の足がさらに深くはまり込むようなものです。それでもなお、あなたはこの厄介なものから離れなければなりません。
脚注
- 1.ここで意味されているのは、アバターたちでさえ、アバターとして受肉する時に持つ粗大意識の心(ヴィドニャーニ・サンスカーラ[知者の印象]によって作られたもの)のヴェールを取り除き、それを「消滅」させるために、五人の完全なる導師の助けを必要とする、ということである。
