第21章: マノナッシュ
1951年· ババ 57歳ページ 2,994 / 5,444
心は存在していますが、心の印象は変わります。それに応じて身体も変わり、またそれに応じて経験も変わります。したがって、偽りの私が真の私となるには、心が去らなければなりません。
人生の真の目標はエゴの死ではなく、心の死です!したがって、ムハンマドやゾロアスターやイエスが一度生まれること、あるいは一度死ぬことについて語った時、彼らが意味したのは心の死でした。心はまさに初めから、石の状態以前からすでに生まれています。この誕生は一度だけであり、心の死もまた一度だけ起こります。
心が死ぬ時、偽りのエゴは実在へと変容します。真のエゴは決して生まれず、決して死にません。エゴは常に真実ですが、心のために、限られた偽りの私として感じ、行動します。
さて、心は自らの善い印象と悪い印象に従って、次々と身体を取っていきます。このように身体を取り、また離れることは、心の死でもエゴの死でもありません。肉体の死の後も、心はその印象と共に残ります。心に身体を取らせるのは印象であり、それは印象が消し去られるためです。その結果、心は印象に従って身体を取り、エゴはこれを目撃します。一つの身体が[捨てられる]と、別の身体が[形成されて]現れます。ただし、一つの身体を手放して別の身体を取るまでには、ある程度の時間差があります。
サンスカーラのこのジャドゥ [魔法の呪縛] は、私たちをあまりにも固く縛っているため、抜け出そうとすればするほど、ますます縛られます。なぜなら、心はその根から破壊されなければならないからです。そして誰がそれを破壊するのでしょうか。心は自分自身を破壊しなければなりません。それは不可能な仕事です。自分自身を破壊するその過程そのものが、それを破壊しようとする印象を作り出し、そのため人はいっそう縛られます。
ハーフィズが言ったように:
おおハーフィズよ、あなた自身がヴェールなのだ!
だから、あなた自身を取り除け!
さて、どのように自分自身を取り除けるのでしょうか。取り除こうとする過程そのものが、新たなサンスカーラを作り出します。
幾千もの人々が心を破壊することを考えてきました。その主な[方法]は、行為、瞑想、知識、そして愛です。これらの道は、意識を保ちながら心を破壊する目的で、完全なる導師たちによって定められたものです。
さて、偽りの私を真の私へと変容させるマノナシュのこの目標のための行為の道、すなわちカルマ・ヨーガについて考えなければなりません[なぜなら、身体を通じた心の主な活動は行為だからです]。導師たちは、偽りのエゴと印象で満たされた心を背景とする行為は、心を破壊するどころか、むしろそれを養うことを見ました。
