第21章: マノナッシュ
1951年· ババ 57歳ページ 2,974 / 5,444
遠くからバーバーを目にしたダーディは、誰もバーバーに会ってはならないという指示に従い、庭園内の展示館に入って身を隠した。ところが、バーバーもまたその建物に入って来た。ダーディは顔を背けたまま脇に立っていた。バーバーは彼に話しかけることなく、ほどなくして立ち去った。
それから、バーバーと女性たちは、用意されたバンガローを見に出かけた。ワノウリの家はあまり気に入らなかったが、バーバーはもう一方のバンガローへ移る前に2日間そこに滞在することに同意した。彼らの食事はビンドラ・ハウスから届けられることになっていた。その間、ガデカルはサルダール・M・A・ラステの助けを借り、バンド・ガーデン・ロード24番地にあるバローダ家のマハラニ・シャーンタデーヴィの宮殿のようなバンガロー、グルプラサードを手配することに成功した。1ガデカルは3月27日に電報でこの知らせを受け取り、ただちにその電文をビンドラ・ハウスへ届けた。メヘルワンも自身がバーバーに会うことを禁じられていたため、その日の昼食と一緒にバーバーへ電報を届けた。この時期、バーバーはビンドラ・ハウスのジェサワラ家も、兄弟ベヘラムの家族も含め、誰にも会っていなかった。皆が彼に会いたがっていたが、誰もその意向に背こうとはしなかった。
グルプラサードのバンガローを使えるという知らせを受け、バーバーはそこを見に行ってひどく気に入り、女性たちと共に同日午後3時にそこへ移った。エルチ、バイドゥル、アディ・シニアは裏手の住居に滞在し、ペンドゥもそこに合流した。
メヘルワンは当時、大学で理学士の学位取得のために勉強していた。卒業試験の日が近づいていたが、バンガロー探しのために勉強する時間がなかった。適切な住居を見つけてくれた褒美として、バーバーは訪問禁止の例外を設け、パッパ、メヘルワン、ガデカルを呼び寄せた。
メヘルワンは1年以上、バーバーに会っていなかった。彼はバーバーの様子に衝撃を受けた:「私はバーバーがあれほど肉体的に消耗されたお姿を見たことがありませんでした。あの方はひどい状態で、首が鶏の首のようになるほど痩せ衰え弱っておられ、歩くにも支えが必要なほどでした。痔の苦しみのため座ることさえできず、私たちが訪問している間ずっと、バーバーは立っておられました。2あの方は完全に衰弱しきっておられました。それでも、私たちを迎えてくださる微笑みはいつも通りで、私たちを抱きしめてくださいました。」3
バーバーはグルプラサードを確保できたことに喜びを示し、それからメヘルワンに尋ねた。「君の試験はいつですか?」
脚注
- 1.グルプラサードは以前ハビーブ・ホールと呼ばれていた。1900年代初頭に裕福なムスリム、フセイン・アフメド・イブラヒム(サー・カリーム・イブラヒムの孫)によって建てられた。1929年、ジャムカンディのラーニーであるリラーヴァティ・パトワルダンに売却された(彼女は持参金の一部としてこの不動産を取得した可能性がある)。ラーニーは寝室の一つに自分のグル(師)のための特別な木製のチャールパーイ(寝台)を置いており、そのグルは実際にそこに滞在していたようである。それゆえに、この邸宅はグルプラサードと改名された。1950年にこの不動産はバローダ家のマハラニに売却された。サルダール・ラステはプーナの裕福で影響力ある支配家系ペシュワー家と縁戚関係にあった。(プーナの一地区であるラスタ・ペートはサルダール・ラステの名にちなんで名付けられている。)
- 2.幼少期からバーバーは消化器系の不調に悩まされていた。痔は、彼の繊細な消化器のためだけでなく、隠遁中の長期断食や数多くのマスト巡訪における不規則な食事のせいでもあった。
- 3.ビル・ル・ペイジ『メヘル・バーバーの神聖なる人間性』(Meher Baba Foundation, Australia, 2002年)、第1巻、30頁。
