第20章: マンジリ・マフィ
1950年· ババ 56歳ページ 2,926 / 5,444
オクラに到着すると、バーバーは川辺に腰を下ろし、一行に冗談やおもしろい話を聞かせてくれるよう頼んだ。
何人かの漁師を見て、バーバーは言われた。「イエスの初期の弟子たちは皆、漁師でした。のちに彼は彼らをご自分の網で捕らえたのです!」
キシャンは冗談めかして言った。「しかしここには、私たちを網に引き入れるどころか、外へ放り出していらっしゃる導師がおられます!」(これは、新生活の間バーバーの弟子たちが彼との接触を許されていなかったことを意味した)。
これに対しバーバーは簡潔に答えた。「しかし、私はイエスではありません。」
デリーに戻ると、バーバーは5月24日の夜をパンダラ・ロード45番地のキシャン・シンの家で過ごした。1翌日はケキ・デサイの家で過ごし、その夜バーバーはカインの家で眠った。バーバーは再び、カインの家族には誰にも会わないと言った(カインの妻方の親族はみなその家に住んでいた)。しかしプラバ・カインの祖母が引き下がらなかったため、バーバーは折れて、翌朝彼女たちにダルシャンを許した。
その朝、すなわち1950年5月26日金曜日、デラ・ドゥンへ発つ前に、カイン家はバーバーに、自宅近くのインド大統領官邸前にあるタルカトラ・ガーデンという公園を訪れてはどうかと勧めた。バーバーは承諾し、エルチ、ワス・デオ、プラバ・カインと共に出かけた。道中カインは、真夏のさなかであるその時期には、そこに見るほどのものはほとんどないだろうと不意に思い出した。公園に入ると、これまで見たこともないほどの淡い紫色の花を咲かせた木々が一面に咲き誇っているのを見て、彼は驚いた。バーバーは緑を楽しみながら、しばらくの間その場をかなり速い足取りで歩き回り、小さな溝を飛び越えさえした。
バーバーはケキ・デサイ、バイドゥル、カカを伴って、ハルジワン・ラルの車でデラ・ドゥンへ向かった。途中、彼らはメーラトに数時間滞在した。バーバーは、4年前に共に働いた、その都市の第五境地の責任者である高位のマスト、メヘルバン・ババと接触することを切望していた。ときに起こることだが、今回はそのマストがバーバーとかくれんぼを演じた。バーバーは大いに残念がりながらも、ついに追跡を諦め、彼と接触することなくその場を去った。
彼らはムザファルナガルのダーク・バンガローで一夜を過ごし、道中さらにマスト作業を行ったうえで、翌日の夕方デラ・ドゥンに到着した。
同じ日の5月27日、エルチは賃貸用のバンガローを下見するため、南のマハラシュトラへ送られた。マハバレシュワルへ移ることがバーバーの第一の選択で、次いでサタラ、アウランガバード、あるいはハイデラバードであった。ジャル・ケラワラ(アレンジメントワラの一人)にも、ナーグプルを除き、ブルダーナーや彼が適当と思う他の場所で宿泊先を探すよう通知が出された。
ギー会社はこのとき営業を停止していたが、ナヴジーヴァンの同行労働者たちには他に住む場所がなかったため、彼らはデリーのその建物に住み続けた。数日後、エルチはデラ・ドゥンに戻り、バーバーと女性たちのためにサタラのムタ・バンガローを、男性同行者たちのためにカリヤニ兵舎を借りたとバーバーに報告した。サタラへ移るための準備が、デリーとデラ・ドゥンで直ちに始められた。
デリーから戻った後、バーバーは再び重い病にかかり、ひどいおたふくかぜを発症した。この喉の感染は、続いていた眼の痛みと相まって事態を一層複雑にした。
1950年6月3日、ドンとニルが彼を治療するためにデリーからデラ・ドゥンへ5日間呼び寄せられた。
脚注
- 1.偶然にも、バーバーがインドのオクラを訪れた日(5月24日)からちょうど2年後、彼はアメリカのオクラホマで自動車事故に遭うことになる。
