第20章: マンジリ・マフィ
1950年· ババ 56歳ページ 2,912 / 5,444
「親愛なるカクバイよ、我らの敬礼を捧げます!」と時代は宣言した。1
カクバイの火葬はその日の午後11時にメヘラバードで行われた。
翌日、バーバーはドンに注意を与えた。「今後は、旧生活の誰かに関する知らせを一切私に伝えないでください。誰かが亡くなったとしても、必要が生じて私が尋ねるまでは、私に知らせないでください。」
同伴者たちに彼はこう述べた。「アディ・シニアは母[グルマイ]を深く愛しており、ヴィシュヌもまた母を深く愛していました。しかし、私とともに留まるという点に関して言えば、二人の母への愛には天地の差があります。ヴィシュヌの胸は勇敢です。彼は私とともに留まることを選びましたが、アディはプラン1-Cを選びました。」
15日の朝7時、バーバーは同伴者たちの小屋に来て、自身のアメリカ渡航の可能性について話し合う会議を開いた。
「いつでもエリザベスから、今年西洋へ私を招待する電報[ケーブル]が届くものと思っています。同時に、エリザベスが1950年ではなく1951年7月に私が来ることを望む可能性もあります。もし今年西洋へ行くことになれば、あなた方のうち何名かを連れて行かなければならないでしょう。私に同行する者たちは、西洋から戻ったらインドに残っていた新プランの同伴者たちと再び合流することになります。
「あなた方のうち何名かを西洋へ連れて行く際には、あなた方への干渉も命令も一切しないと決めましたので、皆さんの同意を得たうえでお連れします。しかし同意のもとに、西洋で私とともに滞在する間はあらゆる面で私に従うという約束を、皆さんからいただきます。
「要するに」とバーバーは結論づけた。「もし7月に西洋へ行くと決めたなら、5月に同伴者のうち何名かに同行を頼みます。それは、彼らがあちらで私に従うと約束することに同意するかどうかにかかっています。またインドに残る者たちには、住居と仕事を確保するうえで私が手助けをします。」
1950年4月16日日曜日、エルチとケキ・デサイは、新プランのあらゆる目的にかなう手頃な家賃の同伴者たちの宿舎を探すため、またバーバーと女性たちの住居を探すためにデリーへ派遣された。
脚注
- 1.1950年4月14日は、偉大なる第六の境地の聖者ラマナ・マハルシが南インドで亡くなった日でもあった。バーバーは常にラマナ・マハルシを高く評価していた。
