第3章: マンジル-エ-ミーム
1922年· ババ 28歳ページ 263 / 5,444
それからバーバーはいくつかの霊的な説明をし、自身の霊的な地位、今後果たさなければならない神聖な務め、そしてそれに伴って自分が経験することになる苦しみや困難について語った。
バーバーの指示に従って、サダシヴ・パティルはチャトゥルシンジ近くのファーガソン・カレッジ・ロード沿いの、マンゴーやシタフルの木々に囲まれた荒れた野原に茅葺き小屋を建てていた。1サダシヴは1922年1月27日金曜日にプーナ駅でバーバーを出迎え、まっすぐ小屋へ案内した。バーバーは喜んだ。
彼は微笑み、サダシヴの背中を叩いて言った、「シャバッシュ〔よくやりました〕!」
その土地の所有者は彼の学友の一人と判明し、その土地を誰が使うのかを知ると、家賃の受け取りを拒んだ。
バーバーは小屋に滞在し始めた。この牧歌的な場所はやがて祭りのような賑わいを見せるようになり、地元の住民や通行人の間で「イラン人の聖者」メヘル・バーバーの住まいとして知られるようになった。その質素な小屋はテントの形をしており、竹と藁で作られ、床は土間であった。長さ十フィート、幅約五フィート、高さ八フィートで、二人が中に入るのに十分な広さだった。掛け金で閉められる藁製の扉が付いていた。導師は夜の休息のためにのみその小屋を使った。昼間は外の木陰で寛ぎ、人々が彼の周りに集まり、その多くの時間はヒンディー語のバジャンやウルドゥー語のガザルを歌うことに費やされた。時にはギリ・ダンダやアティヤ・パティヤといった遊びが行われ、また別の時には彼は霊的な主題や神を実現する道について講話を行った。誰も小屋の中に入ることは許されなかった。夜は警備としてベイリーだけがバーバーと共にいたが、しばらくすると、煙草商のアルジュン・スペカルも夜警の務めを分担し始めた。
早朝、バーバーは幼馴染のコドゥが運んで来るお茶と朝食をとった。九時頃には、カスバ・ペートの他の男たちがやって来て、アルジュンの先導で歌を歌い、導師を喜ばせた。午前十時半頃には、バーバーは弟子たちと共に、約一マイル離れたカスバ・ペートのタディ酒の店まで郵便物を取りに歩いて行った。それからバーバーは765バトラー・モハッラにある実家まで歩いて昼食をとりに行った。父、母、兄弟たち、そして幼い妹と少しの間寛いだ後、彼は小屋に戻り、新聞を読み、ベイリーに書簡への短い返信を口述した。
脚注
- 1.その小屋は当時よく知られた邸宅であったモティ・バウグの向かいに建てられた。
