第18章: 最後のマストワーク:雷鳴への序曲
1947年· ババ 53歳ページ 2,586 / 5,444
翌日、彼らは425マイルを車で走り、いくつもの町や辺鄙な場所を巡った。バーバーは19時間ぶっ通しで働き、午前1時にザヒラバードから12マイル離れた小さなダック・バンガロー(公営宿)に着くまで一切休まなかった。それでもバーバーは眠ることができなかった。アディが日記にこう記している。
[我々は皆]ひどく疲れている。バーバーの断食が体力に影響を及ぼしている。バーバーは部屋で休み、我々は皆ベランダで眠る。彼はエルチと私を何度もしきりに起こす。ひどく落ち着かない様子で、心臓の痛みや痙攣があると訴え、左半身が麻痺してくると言う。
次の目的地はハイデラバードで、13日にそこで七名のマストに接触した。アディはこの訪問を意義深いものと感じた。
ハイデラバード藩王国の歴史上もっとも重大な時期にマストへ接触するために行われたこの[ハイデラバードへの]特別な訪問は、その藩王国の今後の政治生活に影響を及ぼすように思われる……今日のハイデラバードは、インドとパキスタン全体の政治問題を燻らせる火種であり、独立国として留まろうとするその現在の選択のもとで、将来がどうなるかは誰にもわからない。おそらく今こそが、バーバーがこの地を訪れ、霊的なマストとの接触を物理的な手段によって行うことで、その将来の運命の展開する向きを定めるのに最もふさわしい時機と見なされたのであろう。
バーバーは14日には一睡もせず、バルシからプーナへ向かう道中で眠気を催していた。一行はテンブルニのダック・バンガローに車を寄せて停まり、バーバーはそこで横になって休んだ。しかしほどなくして、バイドゥルがティーポイ(小卓)に足を載せたはずみに物音を立て、バーバーはひどく機嫌を損ねた。
1947年8月15日金曜日、インドは正式に二つに分割された。マウントバッテン卿がインドの総督となり、ムハンマド・アリー・ジンナーがパキスタンの総督となった。バーバーが最近発したメッセージはとりわけ重要なものであった。というのも、その後の6週間にわたってヒンドゥー教徒とイスラム教徒のあいだで激烈な暴動と大規模な虐殺が繰り広げられ、数十万の命が失われたうえ、80万人がパキスタンから逃れてインドへなだれ込み、史上最大級の移住の一つを引き起こしたからである。
バーバーは15日にプーナへ到着した。ビンドラ・ハウスでは、パッパはイギリス人がインドを去ることにいくらか不満を覚えていた。同胞のインド人たちの行政能力に自信が持てなかったからである。バーバーは彼に対し、今日は祝うべき日だと告げ、家に新しいインドの三色旗を掲げさせた。バーバーはベヘラムにもバーバー・ハウスで同じことをさせた。
