第17章: 会合とダルシャン
1945年· ババ 51歳ページ 2,469 / 5,444
そして恍惚に満たされたその当惑し呆然とした状態の中で、キシャン・シンは先ほどの指示をすっかり忘れ、礼拝するように顔を地面につけて伏した。バイドゥルは彼を止めようと大声で騒ぎ立てた!
ちょうど2分後、バーバーは手を叩いて邸宅の中へ戻り、バイドゥルがキシャンを助け起こした。彼はマンダリの宿舎で食事を与えられ、バーバーの命令に従って帰宅の途についた。ラワルピンディーに戻った彼は、メヘル・バーバーのことを広める活動に没頭した。後にキシャン・シンはバーバーの仕事における重要な絆であることを示すこととなった。
ジャバルプル出身の「道(パス)に適した少年」スルー・メシュラムもジュビリー・ヒルズでバーバーを訪ねた。バーバーは彼に、マンダリの一員として永久に自分のもとに留まることについて、母親が反対するかどうかを尋ねた。スルーは母親が許さないだろうとバーバーに告げ、バーバーは大いに落胆し、2日後にスルーは家へ帰るよう言われた。バーバーはスルーを愛していたが、状況はその少年を自分の側に置くことを許さなかった。
バーバーの断食中、戦争の出来事は引き続き最高潮を迎えていった。1945年5月7日火曜日、ドイツ軍はベルリンで無条件降伏し、その翌日はヨーロッパにおける戦勝記念日として祝われた。2日後の10日に、バーバーは水断食を解いた。
ジュビリー・ヒルズの邸宅の裏にはプールがあり、そこでマーガレット・クラスキーが東洋の娘たちに泳ぎ方を教えていた。
マーガレットは引き続きイギリスのディリア・デレオンと定期的に文通しており、彼女はそこでウィル・バケットと共にバーバーの名を広めていた。アメリカでは、エリザベスがマートル・ビーチの土地の開発計画を進めており、ダーウィン・ショー、フランク・イートン、デイヴィッド・ブルックス、ヒルダ・フックスら数名が彼女を手伝うために滞在していた。ノリーナはニューヨーク市のイースト67番街のアパートで、フィリス・フレデリック、アデル・ウォルキン、ドロレス・ショー(ダーウィン・ショーの姪)の3人の若い女性たちと暮らしていた。ナディーン・トルストイも彼女らと共に滞在していたが、硬化症を発症し体調が思わしくなかった。
フィリスとアデルは1943年12月にノリーナ、エリザベス、ナディーンの所に移り住んでいた。ノリーナは彼女らを招き、自身の「霊的思念伝達」を通じて直観したところでは、バーバーが彼女らをより近くに引き寄せようとしておられたが故に、それが本質的にはバーバーの招きであるとほのめかした。
