第17章: 会合とダルシャン
1944年· ババ 50歳ページ 2,447 / 5,444
1944年11月15日水曜日、パンクラジやデシュムクの家族、そしてナグプルのほかの愛好者たちを含む一行全員が、自動車とバスでアンゲワダへ向け出発した。アンゲワダは21マイル先にあり、最後の2マイル区間は未舗装で、車もバスも通行できなかった。ヴィブーティは川のほとりのアンゲワダにメヘル・スピリチュアル・センターを開いており、近隣の村々の信奉者たちがそこに来て祈り、歌い、メヘル・バーバーについての話を聞いていた。
村中の人々が川のほとりでバーバーを迎えるために出てきた。彼らは早起きして一番よい服を身に着け、牛車を鮮やかな色で飾り立て、牛の首にちりんと鳴る鈴を掛けていた。彼らはバーバーに牛車で川を渡るよう願い出て、バーバーはそれを聞き入れた。村人たちはバーバーに自分たちの村を訪れてもらえるよう説き伏せたことを喜んで踊っていた。その光景はあまりにも美しく絵のようで、その場にいた者たちに、主クリシュナがゴーパルやゴーピーたちとともにヤムナー川を渡った時代を思い起こさせた!
バーバーは新たに設立されたセンターへまっすぐ向かい、そこでヴィブーティがバーバーへのアールティを行い、バーバーの肖像が正式に安置された。プラサードを配り終えると、バーバーは2マイル先のサオネルへ向かい、チャウラシアの少年たちを車に同乗させた。
バーバーは10時にサオネルに到着し、そこでも町中の人々がダルシャンのために出てきた。ポファリと、もう一人の弁護士P・D・ハルカレが、行事のために見事な準備を整えていた。バーバーはバワルカル弁護士の邸宅へ案内された。
バンガローの四方を見渡しても、目に入るのは人の頭の海ばかりであった。六つ七つの村から来た人々が、この機会を得ようと数日前から待ち続けていた。バーバーはずっと以前から、すでに彼らの胸の中に住まいを定めていた。ポファリはその地域にバーバーのメッセージと愛を広めるという仕事を見事に成し遂げていた。その結果、4万人近くの男女老幼が、メヘル・プラブー(主メヘル)のダルシャンを切なる胸で求めて集まってきていた。バーバーは群衆を祝福するために何度か家から外へ出たが、人々は満足せず、解散しようとしなかった。
この大群衆のただ中に、チャウンデ・マハラジという名で知られた人物がバーバーのもとへやって来た。両手を合わせ、彼は涙ながらに祈った。「私の生涯の務めが成し遂げられますよう、お祝福をお与えください。」
バーバーは彼を安心させるように答えた。「電線が発電所との接続を保っている限り、発電所は決して止まることはありません。」
