第17章: 会合とダルシャン
1944年· ババ 50歳ページ 2,427 / 5,444
チャンジを埋葬したのち、バーバーはただちにスリナガルを発ってニシャトへ向かい、ヴィシュヌにアディ・シニアとチャンジの家族にその訃報を伝えるよう指示した。バーバーは次の電報を口述した。
チャンジは永遠に私のもとへ来ました。彼は永遠に私と一つになりましたから、どなたも心配なさる必要はありません。
ニシャトからスリナガルまで電報を運ぶ者がいなかったが、ハビブッラーが進んで引き受け、ヴィシュヌは経費として彼に100ルピーを渡した。翌日、ハビブッラーが残額の90ルピーをヴィシュヌに返した時、バーバーは身振りで、それを彼自身が取っておくよう示した。ハビブッラーは尋ねた。「なぜこれほど多く頂かなければならないのですか?私が望むのは、せいぜい10ルピーです。」
しかしバーバーは答えた。「あなたは私のために大切な仕事をしてくださいました。それに比べれば90ルピーなど何でもありません!この金額で衣服でも仕立てなさい。」
ハビブッラーはそれを受け取り、その胸はバーバーへの愛で溢れた。バーバーはもはや「ボンベイから来た偉い人」ではなかった。その日からバーバーは、ハビブッラーの胸の友となった。
チャンジの訃報は、東洋と西洋にいるバーバーの愛する者たちを悲しませた。バーバーの近況を彼らに知らせ続けていたのは、チャンジであった。ひとえにチャンジの尽力により、ボンベイから実に多くの人々がメヘル・バーバーと接するようになっていた。彼の死を知り、人々は深く悲しんだ。バチャマイ、アルナヴァズ、ナルギス、ナオロジは、特に悲嘆に暮れた。「時代」はこう訝った。「これからは誰が、バーバーの生涯と行跡のあらゆる細部を伝えてゆくのか?誰が、愛しいお方の酒の物語で人々を酔わせ続けてくれるのか?」しかしすべてはバーバーの意図によるものであり、バーバーは自身の理由により、この時に秘書のチャンジを自らのもとへ呼び寄せたのだった。
シーク教徒所有のタクシーが手配され、1944年8月28日月曜日、バーバーはカカ、バイドゥル、ハビブッラーとともにマスト巡りに出発した。ラヒーム・サーヘブは、バーバーが以前にも接触していた、年配のよく知られたマストであり、トゥラムル村の草地や小道をさまよい歩くのが常だった。28日にバーバーがラヒーム・サーヘブに接触した際、そのマストはバーバーに古びたブラシのかけらとレンガのかたまりを渡した。
別の場所では、バーバーが木の下に立ち、ほかの三人を先に行かせ、あるマストに会わせた。そのマストは三人を見るや否や石を投げつけ始め、それでも立ち去らないとみるや、犬を彼らにけしかけた。
