第16章: 戦時中のマストへの旅
1943年· ババ 49歳ページ 2,380 / 5,444
いつものように、バーバーは人々に自分の存在を知られたり、自分だと気付かれたりすることを望まなかった。彼は自分の身元は秘密に保たれねばならず、明かされてはならないと、強く繰り返し述べた。これは、1941年にデーシュムクが講演を行い、バーバーの写真が多くの新聞に広く掲載されていたカルカッタにおいては困難なことだった。バーバーが定めたもう一つの条件は、認識されるのをさらに避けるため、食事の配給は彼が滞在する家とは別の家で行わなければならない、というものだった。これら全てを手配するため、バーバーは10月4日にチャンジとババダスをカルカッタへ送った。エルチには、6日にプーナを発ち、カルカッタで彼らと合流するよう指示が出された。
これはある意味で「貧者への施食」ではなかった。バーバーは、物乞いはできないが、状況により無力にさせられて今や困窮している、下層中産階級の人々をコンタクトしたかったのである。計画では、エルチ、カカ、バイドゥル、ババダスが毎日中産階級の人々を約50人見つけて連れて来ること、また必要な食器と食料も手配することになっていた。
チャンジは静かな地区にバンガローを借りようと最善を尽くしたが、たった一か月という短期間の賃貸が可能な物件を見つけることはできなかった。食事を作って提供するための場所も見つからなかった。
多大な苦労の末、エルチは慈善的な食事配給機関であるプッド・プカール救援センターの主任責任者であるライ・チョウリア博士と連絡を取ることに成功し、彼にこう告げた。「ボンベイから来た寛大なパールシーの慈善家が、貧しい方々に食事を施したいと望んでおられます。もし適当な場所を私どもにお貸しくださるならば、誠にありがたく存じます。」
チョウリア博士は、その目的のためにある学校の敷地を使えるようにすることに同意した。しかし、彼が確答する前に、チャンジは以下の四つの書面による条件を彼の前に提示した:
1) 貴機関の会員のうち、本作業に共に携われるチョウリア氏を除いては、誰一人としてそのパールシーの恩人とお会いになってはなりません。そのパールシーの紳士は、食事をお配りしている間は静寂を望んでおられます。[これは、チョウリアがバーバーについて詮索しないよう特別に盛り込まれたものだった。]
2) 食事をお配りしている時には、その寛大なパールシーとそのお供の方々を、遠くからであっても観察してはなりません。
3) その寛大なパールシーが独りで腰を下ろし、男性たちと女性たちにドーティやサリーをお配りできる部屋を、是非ご用意ください。
4) 貴機関は、料理人、食器、穀物、使用人などを含む全ての準備を整えていただきたく存じます。それらに要する費用は全て支払われます。さらに、機関は援助を必要とする中産階級の方々を選び、その寛大なパールシーの名のもとに招待状を発行していただきたく存じます。彼らは皆、その方の招待客となるのです。
