第16章: 戦時中のマストへの旅
1942年· ババ 48歳ページ 2,310 / 5,444
そののちバーバーは、メヘラとマニを除く女性たち全員に対し、彼の到着を告げる鐘が鳴ったらみな一室にこもり、二度目の鐘が鳴るまでは外に出ないようにと命じた。
隠遁の最中であったにもかかわらず、バーバーは1942年12月24日、メヘラバードの女性たちをサロシュ・シネマへ連れて行き、映画を見せた。三日後、そこで重要な出来事が起こった。
一年前の1941年、日本が戦争に参戦したとき、バーバーはマンダリとのある話し合いの中で、もし日本軍がアフマドナガルを占領したらどうなるか、彼らの意見を尋ねたことがあった。激しい議論が交わされ、サロシュは力を込めて主張した。「バーバー、なぜアフマドナガルのことをご心配なさるのですか。日本が我々を侵略したり爆撃したりすることはありません」
バーバーは鋭い眼差しで彼を見つめ、警告した。「アフマドナガルに爆弾が投じられ、それはあなたの敷地内に落ちることになります!」
サロシュも他の男たちもみな、その言葉を軽く受け流し、すぐに忘れてしまった。しかし1942年12月27日、サロシュ・シネマがイギリス兵で満員だったとき、休憩時間に「インドを去れ(クイット・インディア)」独立運動の何者かが劇場の敷地内に手榴弾を投げ込んだ。サロシュは爆発のもっとも近くにいたが、奇跡的に負傷を免れた。映画館で働いていた一人の少年が亡くなり、ほかにも数名が負傷した。そのときになってサロシュは、バーバーが予言していたことを思い出した。1
1942年12月26日土曜日、遠方の愛する者たちが会合のためにメヘラバードに到着し始めた。カシミールからはダウラット・シン、ナグプルからはデーシュムクとパンクラジ、ナーシクからはラムジュー、ショラプールからはガデカール、そしてボンベイ、プーナ、アフマドナガルからは多くの親しい弟子たちがやって来た。総勢99名の男性がそのプログラムに出席した。
ちょうど100名にするため、バーバーはマーガレットに出席するよう指示し、こう説明した。「あなたは西洋で私の仕事を行わなければなりません。そのためには、それがどのようなものかについて、ある程度の心得を持っていなければならないのです」
カラチのミヌー・カラスは近い親戚のナイゼ・デュバシュを連れてきており、バーバーは彼女に指輪を授け、決して外さないようにと告げた。その日はナイゼの誕生日であったので、それは特別な贈り物だった!
27日、バーバーは午前8時から9時までラーフリー・キャビンで個人面談を行った。多くの者は何年にもわたってバーバーのダルシャンを待ち望んできたが、その日はじめてバーバーに会うのだった。1939年、ヴィブーティはモティラム・コハケ・パティルから提供された土地に、サオネルの町から約一マイル離れたアンゲワダ村でバーバー・センターを開いていた。その地域には何千人ものバーバーの愛する者がおり、とりわけ揺るぎない追随者の一人がサオネル出身の弁護士(プリーダー)、ディンカル・ハルバジ・ポーファリーであった。彼の家族全員がバーバーに帰依していた。彼はバーバーに直接会ったことはなかったが、その地域で多くのバーバーの仕事を行ってきていた。
脚注
- 1.犯人たちは後に逮捕された。彼らは手榴弾を盗み出した若い大学生たちだった。ダマニア家のあるバーバーの愛する者が少年たちのうちの一人を知っており、彼らを助けてほしいとバーバーに懇願した。そうでなければ彼らは絞首刑になるのが確実だった。バーバーは、少年たちに自分のペンダントを身に着け、法廷に入るたびに「メヘル・バーバー・キ・ジャイ」と唱えるよう指示した。その結果、彼らは最終的に証拠不十分で釈放された。
