第15章: 隠遁
1940年· ババ 46歳ページ 2,174 / 5,444
彼らは午前7時30分に出発し、午前10時30分にダンブッラに到着した。アヌラーダプラで、彼らは仏陀が神-実現を成就した菩提樹を見た。1
11月25日月曜日の午前5時30分、バーバーは女性たちの宿舎に来た。彼は彼女たちに、毎朝8時に「ハリ・パラマートマ」を歌い、毎夕6時には「トゥ・ニラカール(あなたは無相であります)」の祈りを唱えるようにと指示した。
バーバーに何度か会ったことのあるアイリーン・ビロの父親が、10月末に亡くなっていた。
11月27日、彼の死について話し合いながら、バーバーは彼女にこう告げた。「あなたは喜ぶべきです。あなたのお父様はたいへん幸運でした。彼はヴィヴェーカーナンダのように、苦しむことなく亡くなりました。彼は自由です。私と共にいる者たちの親類は皆、私を知っていようといまいと、また私を信じていなくても、救いを得るのです。クリシュナはこう言っています。『そのような幸運な者たちの七十二世代が解脱を得る』」
バーバーは現在の世界情勢について付け加えた。「この期間に世界の半分が亡くなるでしょう——おそらく私の母さえも」
セイロンへ向かう前、バーバーはアフマドナガル近郊で静かで人里離れた場所を手に入れたいという意向を表明していた。サロシュはラフリへ向かう道沿いの不動産を二、三カ所バーバーに見せたが、バーバーはそれらを気に入らなかった。ペンドゥもアフマドナガルの町近くのある場所をバーバーに見せたが、それも彼は気に入らなかった。
この時期のある日、ヴィシュヌは新聞でピンパルガオン・タンク近くのある土地が競売にかけられる予定だという記事を読んだ。世紀の変わり目にアフマドナガルへ水を供給するための人造湖が建設されていた頃、その工事に携わるイギリス人技師らのために一軒のコテージが建てられていた。バーバーはその場所を見に行って気に入り、競売にかけられた時に購入することを許可した。
1927年、バーバーはピンパルガオン湖を二度訪れていた。その当時、バーバーがその近くに住むという話はまったく出ておらず、マンダリの誰一人として、バーバーがいつかそこを永住の地にすることになるとは想像もしなかった。彼はその時、そのことを匂わせることすらなかった。
彼はただ「ここは本当にとても良いところで、気候もよろしいですね」とだけ述べた。
競売はバーバーがセイロンに滞在していた1940年11月11日に行われ、その朝、彼は共にいたマンダリに何度も尋ねた。「私たちは競売であのレストハウスを手に入れられるでしょうか?もし手に入れば、結構なことです」
アディ・シニアの父カイクシュル・イラニはアフマドナガル市自治体執行委員会の委員で、サロシュとペンドゥが入札に勝てるよう手を回した。彼らは800ルピーの入札で落札に成功し、11月28日にバーバーに次のような電報を打った。「ピンパルガオン・バンガロー、購入完了」2
脚注
- 1.セイロンにあるこの木はインドにある元の菩提樹からの苗木であり、ゴータマはその木の下で「悟り」を得たとされる。
- 2.アフマドナガル市自治体委員会とバーバーとの間の実際の売買証書は、1944年4月18日になってようやく取り交わされた。
