第15章: 隠遁
1940年· ババ 46歳ページ 2,114 / 5,444
私の現在の普遍的な重荷を共に担い、私の業を助ける用意が完全に整っている皆さんは、次に告げる私の命令に絶対的に従わなければなりません。
物事は神聖なる意志によって、起こるべくして起こっており、また起こるでありましょう。ですから、戦争が今終わろうと来年終わろうと、今休戦が結ばれようと来年平和が訪れようと、戦争や平和について一切心に思うことなく、皆さんは1940年8月1日から1941年7月31日まで、最高の自己犠牲を払いつつ、ここに留まるか、私が遣わすところへどこへでも赴き、私が命じることを何でも行わねばなりません。
私は1941年8月1日に必ず口を開きます。私が最初に発するのは神聖な言葉であり、それが死せる世界を蘇らせるでありましょう。
これが、戦争と平和と顕現について、私の弟子たちに送る最後のメッセージであります。
バーバーが22日にメヘラバードへ戻ったとき、このメッセージは約240人の親しい愛する者たちに送られ、バーバーの指示に従う用意ができているかどうかを答えるよう求められた。1指示はのちに送られ、一年間にわたって守られるべきものであった。
メヘラバードで、バーバーは再びメヘラバード丘の上のマスト・アシュラムで働きはじめた。チャンジはボンベイから呼び戻され、1940年6月23日日曜日に到着した。彼は、マンダリのためにランチー行きの三等車室を手配するよう命じられた。そこで彼はその旅のために客車二両を予約した。アディ・シニアも同日バンガロールから到着し、翌日に丘でバーバーに会い、その後バンガロールへ戻った。ドンもまた「呼び戻され」、26日の朝にメヘラバードへ到着した。28日、チャガンには、6月13日にバンガロールへ戻っていたエルチとスワミジとともに来るよう電報が打たれた。ガニは『メヘル・バーバー・ジャーナル』編集部を運営しながら、さらに12か月バンガロールに留まるよう告げられた。2
6月29日、バーバーは女性たちに次のように告げた。
1940年8月1日から、全世界に対して終末の日が始まります。一年の間、世界のどこにいようと[人々は]一瞬たりとも安全と感じることはないでしょう。世界中で地震、洪水、飢饉、新たな病が起こるでしょう。戦争で命を落とす者の数は、洪水や飢饉、疫病などによって死にゆく者たちに比べれば、ものの数ではないでしょう。ペルシャで一年のうちに数百万の人々が亡くなったような、恐ろしい飢饉が起こるでしょう。世界の半分はこの飢饉に見舞われるでしょう。人々は戦争も、勝利も、敗北も忘れ去るでしょう。
脚注
- 1.さらに、「未来に向けたメヘル・バーバーのメッセージ」と題されたこのメッセージは、アディ・シニアとエルチによってバンガロールから印刷され、全国の著名なインド人へ郵送された。マイソール州での配布用に、追加で5,500部が注文された。
- 2.バンガロールに住んでいたマンダリ(ガニ、ドンキン、チャガン、ダットゥ)は、1940年6月12日にパレス・ロード4番地の宿舎を引き払い、タナリー・ロード5番地の新たな住まいへ移らねばならなかった。彼らはそこに6週間滞在したのち、再び移転しなければならなかった。
