第13章: ナシクとカンヌ
1938年· ババ 44歳ページ 1,945 / 5,444
神を実現しておらず、知識を持たない者たちでさえ、心をそこまで制御することができ、たとえ生き埋めにされても、何ものも痛みや苦しみを感じさせないことがあります。知識の匂いすら持たなかったあるヨギは、自分を煮えたぎる油の桶の中に投げ込ませました。[彼のヨガの力によって]彼は痛みを感じなかっただけでなく、皮膚も少しも焼けませんでした。これは霊[心]が物質を支配しているのではありません。それよりもさらに低いもので、呼吸の制御です。
私が知識について語る時、それは普通の知識ではありません。それは神性の体験です。神の知識とは神になることを意味します。その時、ほかのすべてはゼロです。導師が神性から通常の意識へ降りて来る時、導師は神を携えて降りて来ます。彼は一秒たりとも神から離れてはいませんが、すべての者と同じ水準にいなければならないので、食べ、飲み、苦しみます。このすべては彼に個人的にではなく、普遍的に影響します。
西洋人たちはキリスト教の背景を持っていたため、イエスについての質問がしばしばあった。バーバーはすでに、イエスは十字架上で死ななかったと説明しており、そのうちの一人が尋ねた。「キリストは十字架上で肉体的に苦しんだのですか?」
バーバーは答えた。
そうでないなら、なぜ身体があるのですか?もし彼が影響を受けなかったなら、イエスに何の必要があるのですか?キリストは苦しみました。そうでないなら、彼が形を取ったことにどんな意味があるのですか?神性の知識が絶えず与える彼の普遍的な心を通して、イエスはすべてが無であると体験し、神性の至福によって支えられていました。彼は苦しみましたが、その苦しみによって影響を受けませんでした。知識とは、神との完全な合一を意味します。導師の苦しみは、普遍的な苦しみです。しかし彼の普遍的な苦しみは、導師の神性に何の影響も及ぼしません。
あなた方が神を実現した時に何が起こるか、どう説明すればよいでしょうか?もはや身体も心も自我もなく、もはや宇宙もありません。ただ、至福を体験する神としてのあなた方だけがあります。その時あなた方は知識も、力も体験しますが、力を使うことはありません。あなた方はこの力、この知識、この至福と一つです。
あなた方が世界のために降りて来る時、普遍的な心を引き受けます。今、神として、あなた方はすべての魂を自分自身のものとして見ます。あらゆるものの中に自分を見、あなた方の普遍的な心は、その中にすべての心を一つの心として持っています。あらゆる心が苦しむものが、あなた方の心の中に入って来ます。あなた方の心はすべての心の苦しみを苦しみ、すべての心の幸福を体験します。
