第13章: ナシクとカンヌ
1937年· ババ 43歳ページ 1,891 / 5,444
サークルは、悟りを得るまでは、このヴィドニャーニ・サンスカーラ[知者の印象]のヴェールの下にあり、二元性に属する普通のサンスカーラ[印象]の普通の徴候をすべて備えています。時が来ると、アバターがサークルに悟りを与えます。しかしそれまでは、ヴィドニャーニ・サンスカーラはその人に残っていても、私の場合と同じく、普遍的な仕事のための道具にすぎません。
新約聖書におけるキリストの教えの多くは、正しく理解されるなら象徴的です。キリストは、ヴェーダーンタ[吠檀多]とまったく同じように、進化、印象、輪廻について語りました。
二元性の全宇宙を支配するプララブダ印象[定められた運命的印象]は、貪欲とその反対、怒りとその反対、そしてすべての悪い思い・言葉・行為と、すべての善い思い・言葉・行為に関するものです。善いサンスカーラも悪いサンスカーラも、どちらもプララブダです。
プララブダ・サンスカーラから自由になるには、善いサンスカーラが悪いサンスカーラを覆うか、個人的自我が奉仕によって滅ぼされるか、あるいは限られた自己が愛の中に融合しなければなりません。善いサンスカーラと悪いサンスカーラは印象であり、どちらも束縛します。進化の過程により、魂は人間形態に至るまで全過程であらゆるサンスカーラ、いわゆる「動物的サンスカーラ」を集めます。したがって、魂が完全に意識を持つ人間形態では、悪いサンスカーラがすでに善いサンスカーラを覆っています。もし今、善いサンスカーラが悪いサンスカーラを覆うなら、起こることは、その両方が消えるということです。私がかつて示した夢の例のようなものです。
夢の中で、自分が女王になってそれを楽しみ、その夢が長く続いていると想像してください。そこへ突然、蛇があなたを襲う夢を見ると、あなたは目を覚まし、善い夢も悪い夢も両方消えます。ここでは、初めは女王になることを楽しむ善い夢であり、その後に蛇があなたを襲う悪い夢が来ました。これは悪いものが善いものを覆う場合です。目覚めると両方が消えます。ですから、悪いものが善いものを覆うか、善いものが悪いものを覆わなければなりません。しかし、もし魂がすでに貪欲、怒り、欲情の印象を集めているなら、今度はそれらが、その反対である寛大さ、愛、平和によって覆われなければなりません。
第二の場合、すなわち奉仕では、自分のことではなく他者のことを考えるとき、自分の自我についての思いは他者を思うことに置き換えられ、他者に奉仕する中で次第に自分を忘れます。
第三の場合、すなわち愛では、恋する者が愛しいお方の中で自己を失うほどに愛しいお方を愛するとき、そのとき初めて愛しいお方だけが残ります。
