第13章: ナシクとカンヌ
1937年· ババ 43歳ページ 1,882 / 5,444
司祭が尋ねた。「あなたは導師として、人々が教会へ行き、司祭に罪の赦しを求める私たちの宗教のように、犯した罪に対する罰として何らかの苦行を課されますか?」
バーバーは答えた。「自分の罪を認める思いと行為が誠実になされ、二度とそれをしないよう努めるという約束があるなら、たとえ苦行をしなくても、それだけで十分です。そのうえ、導師たちには苦行を求める独自の方法があります!」
「しかし、キリスト教で求められるように、実際の苦行の行為は必要だと考えられますか?」
バーバーは説明した。「それは導師の意志と指示によります。時には断食、謙遜の行為、あるいは低い立場にある人々への奉仕など、非常に厳しい苦行を課すこともあります。また時には、その人が正直に告白し、胸の内をすっかり明かした後、それをきっぱり『赦し』、そのことをすべて忘れなさいと言うこともあります。」
バーバーがサーカシア号に乗船したとき、他の乗客たちに目をやり、ノリナに「多くの人々の中に、一人の真摯な魂が見つかるでしょう」と言った。
しかし彼はまた、船上の誰にも自分の正体を明かさないよう彼女に注意した。しかし11月18日、バーバーはノリナに、好奇心を抑えられなかった関心ある乗客の一団に、自分について話すことを許した。(チャンジも質問に答えるため同席した。)十数人が、バーバーについて聞くために甲板の静かな一角に集まった。
バーバーはその小さな乗客の集まりのために、次のメッセージを与えた(二日前に口述していたものだった)。
真理は無限に単純です。したがって、その悟りもまた自然に単純です。複雑さは一体性に本来そぐいません。二元性は複雑さに基づいているからです。本、哲学、そして[さまざまな]用語は、それが各人の霊的傾向に適用されなければ、すべて混乱と矛盾へ導きます。神-実現とは、あらゆる思いと行為において神の内に、神と共に生き、それが自動的になるほど一つになることを意味します。神聖に、そして意識的に自動的であるということです。
眠っていても目覚めていても、意識があってもなくても、食べていても食べていなくても、人々といても独りでいても、活動の中にいても隠遁の中にいても、あなたの呼吸は自動的にあなたの内にあり、あなたと共にあります。それと同じように、あなたの人生のあらゆる局面で、神も自動的に、しかし意識的に、あなたの内にあり、あなたと共にあらねばなりません。それは日常生活の普通の流れの中で、単純で、実践的で、生きられるものでなければなりません。
