第13章: ナシクとカンヌ
1937年· ババ 43歳ページ 1,816 / 5,444
人はあらゆる書物や教義、霊的な学びの場、東西のさまざまな説教師や指導者を持つことができても、より高次の真の霊的修練のための実際の助けはまったく得られないこともありえた……
積み重ねたあらゆる経験は、誰かを信頼することをいっそう難しくしただけだった。一つだけ明らかなことがあった。それは単純な道の必要、そして完全な模範として顕れる真理の必要だった。だからこそ、真に完全なる導師と接し、実際にその御前にいるようになったときの、この上ない幸福を想像していただけるだろう。即座の内的認識と直接的で実際的な助け、そして驚くべき体験が、長く求めていた平安を与えてくれた。それ以来、私の霊的な道は確かなものとなって明晰になり、内的調整によって以前の困難は取り除かれ、古い方法は捨てられ、ますます大きな進歩が保証された……。
私たちが生涯を通して憧れ、この地上に来るほど求め続けるあの神聖な愛そのものである、真に純粋な導き手に出会うことは、まれな、実にまれな恩寵である……シュリー・バーバーの神聖な愛には抗しがたい力があり、それは愛を呼び覚まし、その純粋な霊的導きへの信頼と神的な確信をもたらす。それは魂に慰めをもたらし、私たちの霊的理想の成就を助けてくれる。
西洋人たちは1937年4月10日土曜日にメヘラバードを訪れた。午前2時に出発し、朝早く到着して、その日の夕方7時に戻った。翌日、アディ・シニアがバーバーをラフリへ車でお連れした。そこではアリ・アクバル(アロバ)、タイェバリ、そしてほかの数人の来訪者が彼に会おうと待っていた。バーバーは一人ひとりに会い、それぞれの問題や心配を整理してやったが、内心ではいら立っており、本当はラフリでそこの狂者やマストたちとだけ時間を過ごしたかった。ラオサヘブとガニーもまた調子がすぐれないようで、それがさらにバーバーをいら立たせた。
12日、バーバーはもはや二つの拠点を維持したくないという意向をはっきり示した。
「すべてのことはメヘラバードかラフリのどちらか一方で行うべきです。両方ではいけません。」
彼はダケに、ラフリの地主ラクシュミナラヤンに会って、もっと土地を得られるようにしてみるよう指示した。そうでなければ、アシュラムはメヘラバードへ移すべきだとした。
また12日には、ルストムがインペリアル・フィルム・カンパニーの撮影技師たちと監督を連れてラフリにやって来た。彼らはラフリのアシュラムと、バーバーが収容者たちに食事を与える場面を数分間撮影した。それはナシクで撮っていたバーバーの誕生日祝賀の映像に組み込むためだった。その後、彼らはナシクへ行き、西洋人たちと一緒にいるバーバーの場面もいくつか撮った。
その日、バーバーは思いがけずナシクに来て、夕食後の8時に到着した。一行は、彼が来るのは翌日になってからだと思っていた。
