第13章: ナシクとカンヌ
1937年· ババ 43歳ページ 1,797 / 5,444
結婚式の一行を乗せたバスが転覆し、新郎を含む十六人が負傷した。バーバーは負傷者のうち二人を自分の車に乗せ、最も近い医療施設のあるコールハルへ運んで治療を受けさせた。残りの者たちはラフリの診療所へ運ばれた。翌朝、バーバーはメヘラバードへ向かった。
8日、9日、10日、バーバーは終日ラフリで過ごし、毎晩メヘラバードへ戻った。ドリーは依然として不安定な状態にあり、しばしば食事を拒んだ。9日の夕方、バーバーは彼女に牛乳とジャレビ(前日にサロシュが息子の誕生を祝って持ってきたもの)を食べさせた。
なぜバーバーがそのように絶えず動き回る日程を保っていたのかは、それを直接目にした者たちにとってさえ謎であった。ダケは1937年3月9日の日記にこう記した。
シュリー・バーバーは午前8時きっかりにここ[ラフリ]に来られた。時計が8時を打つや否や、バーバーのポンティアックの警笛が道路に轟くように鳴り響く。私は考えに考えるが、バーバーがなぜこれほどメヘラバード、ナシク、ラフリの間を車で行き来しておられるのか、ついに結論に至らない。彼のお仕事の順序を追うことはできない。世のために善を施されるそのやり方は神秘的である。彼が人類のために昼夜お働きになっているのは間違いない。しかしその仕事は外見上、いかなる既存の機関の体系的な活動にも当てはまらない。彼が決して自身の利益のために働いておられるのではないことは確かだ。彼の行いはすべて、信奉者たちや他の人々の益のためになされる。だからこそ、彼のお働きを追うことは難しい。彼の恩寵が降り注がれない限り、人はそのお働きを真に味わい知ることはできない。彼の御手に触れて恩寵を授けられるその時まで、私たちは彼に従おうと努めようではないか。
自分なりの理由から、バーバーはマハトマ・ガンディーが自分の誕生日の祝賀に来なかったことへの落胆を表した。
西洋人と東洋人が霊的な目的のために集う様子をガンディーが目にしていたら良かったのに、と彼は述べた。
バーバーの勧めにより、チャンジは次のような手紙をガンディーに書いた。
1937年3月5日
ナシク・リトリート
親愛なるガンディジー殿、
去る[2月]11日付の貴信を拝受いたしました。
数年ぶりに今回公に祝われたシュリー・バーバーの誕生日は、多くの意味で重要な一時代を画するものとなりました。最も意義深い二つの点を申し上げます。すなわち、何千人もの足にお触れになったことと、より緊密な絆のもとで東洋と西洋が出会ったことです。
