第13章: ナシクとカンヌ
1937年· ババ 43歳ページ 1,778 / 5,444
一行の一人が尋ねた。「もし私たちが従いたいのに、何らかの理由で身体的にも精神的にもそうすることができない場合はどうなりますか?」
あなたに従う意志があるならば、それは不従順ではありません。たとえば、私が「飛べ!」と言ってあなたが飛べないとしても、それは不従順ではありません。しかし、あなたは飛ぼうと努めねばなりません!「私は飛べません」と言ってはいけません。ただ試みてください。
ある意味で従うことは容易ですが、胸と魂をもって行うことは困難です。たとえば、もし私がアディ・シニアに「あなたの父親を殺せ」と言えば、彼は殺すでしょう。それは容易なことです。彼は喜んでするわけではありませんが、それでも行うでしょう。完全なる従順、完全なる盲目的従順は、極めて、極めて稀なのです。
もし私がマルコムに「ジーンを殺せ」と言えば、彼に完全なる信仰があれば実行するでしょうが、進んで行うことはありません。それゆえ、違いがあります。完全なる盲目的従順は、完全なる信仰の結果です。
ある時点でバーバーは再び、エゴをどう取り除くか、無限にどう合一するかを絶えず考えることは、道における助けではなくむしろ妨げになると警告した。
続けて、バーバーは従順を強調した。
あなたはいつでも、従わない者を非常に多く見出すでしょう。彼らはただ献身的なだけです。彼らは礼拝はしますが、従いません。これは明らかですか?従順は、たとえ嫌々ながら行われたとしても、献身より重要です。それは非常に重要です。なぜならその後、その過程で二元性が消え、責任は一人の人に — すなわち導師、あなたが従う方に — 帰せられるからです。もし彼が立ち上がれと言えば、あなたは立たねばなりません。もし彼があなたを呼べば、あなたは行かねばなりません。
愛は従順よりさらに高いものです。真の愛においては — ありふれた愛ではなく — 愛、従順、献身が本来そなわっています。そのような愛は、命も、身体も、魂も — すべてを愛しいお方に捧げます。この愛は、従順と献身の両者よりも高いものです。
この愛の次の段階は合一です。ですから、愛してください。より多くの愛を、そしてさらにさらに多くの愛を与えてください。大きな胸はいつも与え、また譲ります。小さな胸はいつも受け取り、また奪います。
いつか私は、あなた方皆に愛についてさらに説明しましょう。愛は正しく理解されていません。すべての感情的な行為が愛から発したものとみなせるわけではありません。愛の真の徴は、すべてを与えることです — 与え、また与えることです!
いつか私は説明しましょう。母親は自分の子を愛します。しかしこれは純粋な愛ではありません。それは愛に自己満足が加わったものです。
