彼らが発った翌日、頭痛が引いたとき...私はこう思った — 神の臨在、私たちの胸の中と家の中にある神の愛は、恐れや慌ただしさ、急かされる感覚や肉体的な病ではなく、平安と平穏とをもたらすべきものなのだと。バーバーに会わなかったならば、私は数日にわたって霊的、精神的、肉体的な力を失うこともなかっただろう。しかしそうした状況下にあっても、私はとりわけバーバーの私への親切が大きかったため、判断を下すつもりはなかった。1 バーバーは午後10時にガリュイを発った。使用人たちが集められ、彼に別れを告げた。そのうちの一人(おそらくガンナの同伴者か家政婦、もしくは個人秘書であろう)は涙を抑えられなかった。バーバーはその夜をパリのアルフレドとコンスエロ・サイズ夫妻のアパートで過ごした。サイズ夫妻はガリュイにも来ていた裕福な人々であり、ガンナ・ワルスカとは違って、彼らはパリにおけるバーバーの主要な接点となる二人となった。2 11月10日の早朝、数人の新しい人々に会ったあと、バーバーはパリを発ち、午前10時にマルセイユに到着した。彼と一行はホテル・テルミナスにチェックインし、バーバーは303号室、ほかの者は304号室と305号室に滞在した。バーバーはマルセイユに着くことをことのほか急いでおり、果たすべき「霊的な約束」があるのだと述べていた。
到着するや否や、バーバーは荷をほどかぬまま、市の公園へ連れて行ってほしいと頼んだ。そこに着くと、彼はノリナとエリザベスを左右に従えながら、砂利道を行ったり来たり歩き始めた。小さな芝生の向こう側にある公園のベンチに、一人の若いフランス人男性が腰かけていた。やがてバーバーは芝生の周りを巡って歩き、その若者のすぐ脇を通り過ぎた。若者は立ち上がり、バーバーが通り過ぎる際に恭しく頭を下げた。その後バーバーは歩き去りながら、その若者は内的な境地で自分のために働いている「借り受けた霊的代理人」の一人であると説明した。
1936年11月12日木曜日の午後3時、ヴァイスロイ・オブ・インディア号に乗船したバーバーは、カカとチャンジとともにマルセイユからインドへ向けて航海に出た。当初の計画ではバグダッドからカラチまで再び飛行機で飛ぶ予定であったが、座席を確保できなかった。ヴァイスロイ・オブ・インディア号の乗船券は六か月前にすでに完売していたが、出航の四日前に「どうしたわけか」三席が空いた。船は空き寝台が一つも残らない、完全な満員状態であった。658人の乗客のなかにはインドの王子やマハラジャ六人もいたが、バーバーは航海中その誰とも会わず、船上における彼の存在は秘密にされた。3