第12章: 映画プロジェクトとインドでの仕事
1936年· ババ 42歳ページ 1,709 / 5,444
これらすべてがこれほど複雑なのは、それが「妄想」であり、妄想は複雑さに満ちているからです。真理[実在]には、何の複雑さもありません。それは一つ——分けることのできない、完全な全体です。
「必要」というのは、とても大きな要素です。導師であっても、マインドを向けられない場面では、特定のものごとに対して「必要」が生じるのです。彼らはふつうの人間の水準まで降りて来て、誰もを当惑させるような事々を行わねばなりません。たとえば、ロビンソン博士のことです。私は皆さんに彼を追いかけてほしいと願っており、私自身も皆さんと一緒に行き、皆さんが彼に会い、事情を説明し、その答えを得ることなどに、ひどく気をもんでいるのです。なぜでしょうか?なぜならそこに「必要」があるからです。マニの容態が早くよくなるためには彼が必要であり、最良の専門家として彼の手に委ねられている以上、私たちは彼の後を追わねばならないのです。そうでなければ、つまり通常の状況で私たちに「必要」がなかったなら、たとえ彼が自ら来て面会を請うてきたとしても、私は彼に会うことはなかったでしょう。
私はある外的な理由からも、マイソールを気に入っています。気候や水、そして何より、向こう[メヘラバード、ナシク、ボンベイ]で私を煩わせる些細な悩み事から離れていると感じられるからです。
そして、ディーワーンの[肯定的な]返事がそのまま与えられたとおりであれば、まことに素晴らしかったでしょう。しかしマニの重い病と手術以来、とても気落ちさせられます。そのうえ、「タッタ・カッティング(タッタを切る)」の一件は私をすっかり失望させました。
1936年4月3日金曜日、バーバーはグスタジ、ジャルバイ、チャガン、チャンジを伴ってナンジャングドへドライブし、そこにある有名な九層の寺院の精緻な彫刻を見た。その日には数千人の巡礼者が訪れ、近くの川で沐浴したのち寺院へと向かっていた。
7日、バーバーは睡眠について語った:
人が眠る時間は習慣によって身につくものであり、「必要不可欠」なものではありません。実のところ睡眠は無意識の状態であり、すべての存在は、自己実現において完全な真の意識を得るまでは、霊的に無意識の状態にあるのです。睡眠中のこの無意識の状態は、実のところ肉体にとっての不活動と休息の状態に過ぎず、それが規則的な習慣として固まり、「必要不可欠」と見なされるようになったに過ぎないのです。
睡眠がごく短い人々もいます。教養と学問の人々で、自らの仕事に身を捧げ、深く没頭し忙しさのあまり休む時間もほとんどなく、ましてや睡眠は一日にほんの二、三時間しかとらないほどなのです。ごく短い睡眠に慣れていながら、最良の健康を保っている人々はたくさんいるのです。
