第12章: 映画プロジェクトとインドでの仕事
1935年· ババ 41歳ページ 1,670 / 5,444
バーバーの望み通り、彼らは予定より早く、13日の正午にコロンボに着いた。彼らはビクトリア・ホテルで昼食をとり、午後8時15分に海岸沿いを北上する列車に乗った。「バーバーの体調はますます悪くなっている」とアディは記した。「彼はしきりに自分の顔の様子や目の下の濃い隈について尋ねる…また口から[絶えず流れ出る唾液]についても、絶えず訴えている。」
彼らはフェリーでセイロンとインドのあいだの海峡を渡ったあと、税関と旅券審査の係官による時間と手間のかかる厳しい検査を受けることとなった。旅券審査官はとりわけ無礼で、アディ・シニアはその態度をめぐって彼と口論になった。
バーバーは1935年2月15日午前7時、列車でマドラスに到着し、駅ではサンパス・アイヤンガル、その家族、その他の信奉者たちが出迎えた。2時間後、バーバーはボンベイ急行に乗って出発した。バーバーはカカとともに二等車に、アディ・シニア、チャンジ、ジャルバイは三等車に分かれて乗った。しかしその夜、ワーディーで多くの乗客と荷物がバーバーのコンパートメントになだれ込み、車内が満杯になったため、バーバーはほとんど休むことができなかった。彼は16日の早朝、ドンドに到着した。
パドリはバスでドンドまで来ていた。折しもボールのマハラジャが、ドンド駅のホームに居合わせていた。彼はバーバーに気づき、一行全員に紅茶と朝食をふるまうと申し出て、バーバーはこれを受け入れた。バーバーはチャンジとカカを用事のためボンベイへ送り出し、自身は同日の午前遅くにバスでメヘラバードへ戻った。ベヘラムとアディ・ジュニアはプーナから到着し、3日間滞在した。
バーバーは依然として歯がひどく痛み、極度に疲れきった旅のために体がたいそう衰弱していた。パドリが痛みを和らげるための注射を打ち、アフマドナガルのピンパルカレ医師が呼ばれて奥歯2本を抜くことになり、午後5時頃、メス・クォーター裏のベランダで抜歯が行われた。バーバーがそうして苦しんでいたため、その日(2月16日)の41歳の誕生日は、特別な儀式を一切行うことなく静かに記念された。
インドに到着したのち、バーバーは子犬のチャミーをしばらく自分のそばに置いていたが、その後アディ・シニアに世話を任せた。メヘラバードに腰を落ち着けたバーバーは、シンガポールからの航海中に始めた断食を続け、牛乳と水だけを口にしていた(そのため便秘がちになった)。バーバーが再び固形物を口にし始めたのは、ようやく一カ月が過ぎてからのことだった。
女性マンダリはメヘラバードの丘で隠遁生活を送っていた。バーバーは巣立ちかけたマイナの雛を3羽連れてきており、ナジャがその世話をするようになった。鳥たちには、彼らのために特別に運ばれてきた虫がたっぷりと与えられた。バーバーはマイナたちに、ヒンドゥー教の三神一体ブラフマー、ヴィシュヌ、マヘーシュ(創造者・維持者・破壊者)の名を付けた。鳥たちは飛び方を覚えると、よくバーバーの肩にとまった。バーバーは鳥たちを愛情をもって扱い、自らクリームやチャパティを与えていた。
