第12章: 映画プロジェクトとインドでの仕事
1935年· ババ 41歳ページ 1,667 / 5,444
ですから、愛は時も空間も知らないこと、愛によって結ばれた胸は決して引き離されず、決して別れることがないということを常に心に留めて、永遠に愛しき皆さんのバーバーへの愛、愛のこもった想い、そしてその仕事のなかで、いつも明るい気持ちと幸せをお保ちください。私は皆さんが、いかなる状況のもとでも常に幸せであってほしいと願っているのですから。
航海中、バーバーは非常に落ち着かない様子で身体の調子も崩れ始め、できるだけ早い日にインドに到着することの緊急性を毎日繰り返し強調した。彼はこの言葉を何度も繰り返しながら、香港とインドを結ぶさまざまな航空路、あるいは少しでも早く着ける可能性のある陸路を調べるようマンダリに頼んだ。船こそが最も速い移動手段だというマンダリの保証にもかかわらず、バーバーは日々こだわり続け、できるだけ早くインドに到着しなければならないと繰り返した。
1935年の冬は36年ぶりの厳寒で、バーバーは厳しい寒さのために、いつもの甲板での散歩を取りやめざるを得なかった。乗船してからの最初の数日間、バーバーはジムへ行き、電動の馬に乗ったり、固定式の自転車で運動したりしていた。それでも、彼の健康は悪化し続けた。歯槽膿漏と歯ぐきからの出血を患い、ほとんど食べることも眠ることもできなくなった。夜、彼は口の中にたまる血と唾を吐き出すため、数分おきに起き上がらねばならなかった。口にするものは、一日に一度の牛乳と、夕方のチキンスープ、柔らかいパン、ほうれん草くらいしかなく、ほとんど眠ることもできず、バーバーはますます衰弱していった。バーバーはまた、1ヶ月余り前にロンドンに到着して以来ずっと、胸の痛みと心臓の引きつりが続いていた。
航海中、彼は男性マンダリにこう説明した。「私のこの状態は麻痺へと進行するかもしれません。だからこそ、できるだけ早くインドに到着したいのです。」
1935年1月18日金曜日午後1時、彼らはハワイのホノルルに到着した。彼らは下船してワイキキ・ビーチに向け徒歩で歩き出したが、思っていたより遠かったのでタクシーに乗った。バーバーはワイキキの小さな動物園でしっかりと散歩を楽しんだ後、雨が激しく降り出したのでタクシーで市街に戻った。彼らは午後7時に船に戻った。
バーバーからの手紙は、アメリカに残された彼を愛する者たちに向けてハワイから郵送された。
