第12章: 映画プロジェクトとインドでの仕事
1934年· ババ 40歳ページ 1,640 / 5,444
9月27日、ナディル・ダストゥールがメヘラバードへ来た。個人的な会話の中で、彼はバーバーの助言のせいで商売で金を失ったこと、そして友人たちが今では師に対する自分の変わらぬ信仰を嘲っていると不平を述べた。
バーバーは彼に長々と説明した:
信仰の意味とは、人が何によっても揺るがされないということです。信仰とは、何事をも勇敢に成し遂げ得る手段なのです。
世俗の人々は当然のごとく家族を心配しますが、実のところ、すべては一つの大きな零(ゼロ)なのです。あなたと家族とのつながりは、どれだけ続くというのですか?あなたはご自分の先祖について何を知っているでしょうか。同じく、あなたが世を去った後、家族はどれほどの間あなたを覚えていてくれるでしょうか?皆すべてを忘れてしまうでしょう。誰一人として何も覚えてはおらず、あなたとの何のつながりも持たないでしょう。現在のこれらのつながりはどれも一時的なものに過ぎず、恒久的でも永遠でもありません。
あなたは今、いくつかの金銭的な問題のせいで家族のことを心配しています。仮にすべてが順調で、明日にはあなたが何百万も手にしているとしましょう。そうすればあなた方は皆、安楽に暮らすでしょう。宝石やその他の物を蓄えることでしょう。しかしあの世ではどうですか?何も残らないのです!肉体が落ちる時、すべては終わるのです!すべてが無用なものとなり — 無意味になるのです!ですから、我々[師たち]は遥か先[目標]を見据えるのです。なぜなら、それだけが恒久的で永続するからです。我々はこれらの表面的な困難一切に注意を払いません。
あなたは私の者です。あなたは私への信仰を持っているのです。私はあなたに助言を与え、あなたはそれに従って金を失いました。人々が、私があなたのお金を使い尽くしたと言うなら、それは真実です。しかし、なぜなのでしょう?人々をどうして責められるでしょうか?あなたは確かに私の者です。なぜなら、あなたは私への信仰を持ち、ご自分の苦難にもかかわらず私の足下にしかと留まり続けてきたからです。しかし、人々がこれをどうやって信じることができますか?彼らがそのような信仰をどうして持てるでしょうか?ですから、彼らが私の陰で私の悪口を言ったとしても、ただ静かに聞いていてください。そこにどんな真実があるというのですか?
キリストは十字架に釘付けにされましたが、それは彼の境地を変えたでしょうか?真実は、完全なる者はいかなる災いによっても動じないということです。全世界が彼に逆らって語ったとしても、彼は完全なるままです。人々が太陽に向かって矢を射たとて、太陽がどうして影響を受けるでしょうか?矢は跳ね返り、それを射った人々の上に雨のごとく降り注ぐでしょう。アバター、またはサッドグルたちは、こうして太陽のようなものなのです。彼らは中傷の矢によって、いかなる形でも揺るがされたり影響されたりすることはありません。しかし、なぜ私はこのことに心を痛めるのでしょうか?私はあなたのために胸を痛めるのです。あなたが苦しめられているからです。
