第12章: 映画プロジェクトとインドでの仕事
1934年· ババ 40歳ページ 1,624 / 5,444
パスカルは気性の激しい男で、バーバーがこの企画で自分の時間を浪費させたと感じ、すでに怒り心頭に達していた。パスカルが到着したとき、バーバーは家にすらおらず、これがさらに彼を苛立たせた。そこへ電話の伝言が入り、エリザベスに、パスカルに上等な桃を一つ食べさせ、バーバーがじきに来ると伝えるよう指示があった。一見何でもないこの仕草が彼に深い影響を与えた。後に彼は、母が好物の桃の中でも一番のものをいつも自分のために取っておいてくれたことを打ち明けた。
しばらくしてバーバーが到着し、パスカルを呼んだ。面会のためバーバーの部屋に入ると、バーバーが優しく微笑み、パスカルの怒りは溶け去った。彼はただ謙虚にバーバーに尋ねるしかなかった。「私に何をして欲しいのでしょうか?」バーバーは彼を傍に座らせ、その手に触れて、彼の仕事について尋ねた。落ち着きを取り戻したパスカルは、これまでにない方法で人生の霊的側面を描き出すことにより、内面の感情と人間の最も深い存在の表現を引き出したかったのだ、とバーバーに語った。
バーバーは述べた。「私はロンドンであなたの映画の一本を[一度]見たことがあり、ユーモアと哀感をいかに繊細に組み合わせているかに気づきました。私はそれを存分に楽しみ、私の映画を作る人物はあなたであるとしばしば申し上げてきました。1あなたは私と非常に深い過去の縁があり、将来、特に映画を通じて私のために働かれるでしょう。それゆえ私は自ら、あなたを私のもとへ引き寄せたのです。」
それからバーバーはアルファベット盤でこう綴った。「あなたは私のフェニックス(不死鳥)です。」
数時間バーバーと共に過ごした後、ガブリエル・パスカルは人生でかつてないほど幸せな気持ちで去って行った。「すべてが素晴らしかった、素晴らしかった ── 言葉にならぬほど素晴らしかった」と、彼は後に振り返った。「私は獅子のようにやって来たが、子羊のように戻った!」
パスカルやフォルメラーとの映画プロジェクトに関する話し合いは、その後3日間ぶっ通しで続いた。フォルメラーは、飛行機の乗客たちと、師を象徴するパイロットを描いた物語(『パーフェクション』)の粗稿を書いていた。パスカルはバーバーの手を撮影して映画に映すことを提案し、バーバーはこれに同意した。
脚注
- 1.ここで言及されている映画は、おそらくガブリエル・パスカルが製作したドイツ映画『ケペニックの大尉』(The Captain from Köpenick、1931年)であろう。パスカルは劇作家ジョージ・バーナード・ショーと親しく交わり、後にショーの戯曲『ピグマリオン』『少佐バーバラ』など複数の作品を映画化した。ショーは彼についてこう語った。「パスカルはディアギレフがロシア・バレエに対してしたことを映画に対してしている……この男は天才だ。」
