第12章: 映画プロジェクトとインドでの仕事
1934年· ババ 40歳ページ 1,621 / 5,444
7月2日、デリアの妹ミンタは、テムズ川を見下ろすリッチモンドの牧歌的なスター・アンド・ガーター・ホテルにバーバーを車で連れて行き、ホテル内の住居で、母メイ、祖母、そして母の同伴者と共にお茶を楽しんだ。1三人の「太古の方々」はみな、まるでお気に入りの甥っ子であるかのように、太古の御方を可愛がった。バーバーはロンドンで多忙を極め、くつろぐ暇もなかったが、その慌ただしい活動の只中にあっても、この親切な三人の老婦人を忘れることはなかった。時代が記したように、「大洋なる御方は常に滴を探し求め、滴たちを魅了し引き寄せて、大洋の波の中に融け合うことを願わせるのである。」
リッチモンド公園を散策した後、バーバー、キティ、デリア、マンダリ、そして他の数人は赤い二階建てバスに乗り込み、キティの家まで戻る道中、その上階に座った。翌日、バーバーは午後2時にハルステッドのウィルとメアリーの別荘を訪れた。彼が再会した人々の中にはウィニフレッド・フォースターもいた。4日、バーバーはクリシュナ・ヴィアのレストランで昼食をとった。
バーバーとマンダリは1934年7月5日木曜日にロンドンを発ち、フォード夫人がディック・カペル・スミスの父親と共に彼らをドーバーまで車で送った。バーバーは休息を望んでおり、また休息を必要としていたが、その女性は2時間の車中ずっと質問を浴びせかけ、彼を煩わせた。
ノリナ、キティ、ミンタ、デリア、クェンティンは列車でドーバーに到着し、バーバーとマンダリは彼女たちと共に、英仏海峡を渡るフェリーに乗り込んだ。午後4時にオステンドに到着した一行は、午後6時30分発のチューリッヒ行きブリュッセル急行に乗る前に、町を心地よく散策した。バーバーはそれまでもしばしば下級車両で旅をしていたが、今回は3等車の木製ベンチが寝心地悪く、夜通しまともに休めなかったのは明らかだった。
脚注
- 1.スター・アンド・ガーター・ホテルは後にピーターシャム・ホテルと改名された。
