第12章: 映画プロジェクトとインドでの仕事
1934年· ババ 40歳ページ 1,592 / 5,444
バーバーは2月19日にボンベイ・エクスプレスでマドラスを発ち、ショラプール経由で翌日メヘラバードに到着した。ショラプール駅ではガデカルとグナタイがバーバーのダルシャンを受けた。ルストムとフレイニ(数日間メヘラバードに来ていた)は、サイエド・サヘブ、ナワル、キサンと同様にナシクへ発った。
メヘラバードに住んでいたグルマイの娘ドリーは、次第に憂鬱になっていった。気分転換のために、バーバーは彼女がピラマイとともにカラチへ行くことを望んだが、ドリーは拒んだ。彼女は数か月間バーバーの小屋に隔離され、はじめの数日は牛乳のみの食事で過ごし、やがて落ち着きを取り戻した。
1934年2月25日、ナワルとディナ・タラティ、そしてナシクのアイヤンガルとその妻がバーバーに会った。バーバーはアイヤンガルに、毎晩寝る前に目を開けたまま三分間暗闇を見つめ、何か色が見えたり異常な体験があれば自分に報告するよう指示した。一行はその日の午後ナシクへ戻った。
二日後、ガニとアブドゥル・タヤブがそれぞれ来て、バーバーと別々に話した。バーバーはガニが自分の指示(おそらく酒を飲まないようにとの命令)を破ったことに不快感を示した。
「あなたは私を失望させました」とバーバーは言った。「しかし私はあなたを失望させません」。
ガニが去った後、バーバーは彼に手紙を書いた。「お望みなら、不従順になさってください。覚えておいてください。どんな状況においても、私のあなたへの愛は変わりません。あなたは私にとって以前と変わらぬあの博士であり、この宇宙の鍵を持つ者の友です」。
バーバーは3月8日にナシクを訪れた。午後3時30分にアディ・シニアのポンティアックでルストム、セーラーと共に出発した。バーバーはフレイニとその子供たちに会い、サークル・シネマ、タラティ家、エドケ家を訪れた後、翌日の午後に戻った。彼はメヘラバードに戻る前に、サロシュ・シネマで『キング・コング』を観に行った。
同じ時期、カレママの妻ジャンキは心臓病で重態だった。1934年3月13日火曜日、バーバーは彼女を見舞うためファミリー・クォーターに行った。彼女はバーバーに会えたことが嬉しくて、痛みを忘れてしまった。
バーバーは彼女に確言した。「あなたは明日解放されます。心配なさらないでください」。
その婦人は同夜午前3時30分に息を引き取り、神なる人(God-Man)によって永遠に解き放たれた。妻の死後、カレママは男性マンダリの宿舎に移り、生涯をそこで過ごした。
3月21日にペルシア新年が祝われた。その日、グルマイが訪れた。この頃メモが訪問に来て、メモとアディ・ジュニアは28日にプーナへ戻った。翌日ベヘラムが到着し、30日にはチャンジがピラマイ、シラ、ベイリーを連れてきた。
1934年4月3日にミヌー・ポホワラがナシクから到着し、バーバーの助けで仕事が見つかるまでメヘラバードに滞在し始めた。8日にカカ・チンチョルカルが来た。彼は近頃、バーバーの西方への渡航の可能性やそのほかの活動のための資金調達を取りまとめるうえで、大いに役立っていた。
