第12章: 映画プロジェクトとインドでの仕事
1934年· ババ 40歳ページ 1,591 / 5,444
マドラスへの短い訪問の間、バーバーはアイヤンガルにマヤについて説明した:
こういうことです。もしある人が海の底から真珠を取りたいと望むなら、その人は浜辺に座ったまま真珠に向かって上がってこいと叫んではいけません。もし本当にその真珠が欲しければ、それを得るために海の底まで飛び込もうと全力を尽くさなければなりません。
さて、海の水をマヤ、真珠を神と仮定してみましょう。霊的な法則によれば、潜水士は潜っている間に体が濡れることも、水一滴に触れることさえあってはならないのです!つまり、潜って真珠を得ることは可能ですが、その過程で水一滴にも触れずにいることは不可能だ、ということです。霊的な事柄におけるこの不可能な側面こそが、潜水士をその褒美にふさわしい者とするのです。
水に触れないためには、潜水士は完全な潜水服を着用しなければなりません。そうしてはじめて、濡れずに真珠を持ち帰るという規則に従うことができるのです。
以上を霊性に当てはめてみてください。海の水をマヤ、真珠を神、潜水士を求道者、潜水服を愛、すなわち世を捨てる意志、そして浜辺や船の上で空気圧縮機を扱う人をサッドグルとしてください。したがって、空気圧縮機を操作してくださるサッドグルの助けなしには、潜って真珠を取ること、すなわちマヤの中にとどまったままマヤの手中から解放されることは不可能なのです。
人は世俗の務めを果たし、妻子とともに家庭を営むこともできます。しかし同時に、何が起ころうとも、これらすべてから超然としていなければなりません。これは、近しい者たちへの務めを怠ってよいという意味ではなく、それに対していかなる執着も持つべきではないという意味です。あなたは、このペンが自分のものであると知って、それを使います。しかしそれを失っても、気にかけるべきではありません。超然としていなければならないのです。
神-実現の意味は解放、すなわちマヤの束縛から自由になることです。しかし、マヤから出るためには、まずマヤの中にいなければなりません。ですからマヤの中にとどまりつつも、それに絡め取られないようにしてください。マヤの策略や罠から遠ざかっていてください。
