第12章: 映画プロジェクトとインドでの仕事
1933年· ババ 39歳ページ 1,578 / 5,444
グスタジは依然として沈黙を守り続けていた。バーバーはマサジとシドゥを忙しく働かせ、家族とともに家族用宿舎に住むためにやってきたカレママもまた同様に忙しくしていた。カレママの兄弟アンナサヘブ・カレも、しばらく後に永住するためやってきた。パドリはホメオパシーを学んでおり、アランガオンや周辺の村から来る貧しい人々を治療していた。ラオサヘブはバーバーに関するペルシア語での執筆に没頭しており、チャンジはバーバーの書簡を取り扱っていた。ジャルバイは完璧な少年を探す任務を与えられ、毎日一人か二人の少年をバーバーのもとに連れてきたが、バーバーはその都度全員を送り返した。この時期、メヘラバードには約70人が滞在していた。
しばらくの間、バーバーはメヘラバードの丘にある女性たちの台所の隣の小さな部屋で寝ていた。その後、1927年に隠遁生活を送った場所である地下の墓室で寝るようになった。1バーバーは日課として、午前8時から11時までと、午後4時から7時まで下メヘラバードへ降りてきて、マンダリを監督し、書簡や他の用件を処理するのを常としていた。ルストムとアディ・シニアはラムジューとともにナシックに留まっていたが、さまざまな用件でバーバーに会うため、ときおりメヘラバードへ来ていた。
このときメヘラバードにいた女性マンダリは、メヘラ、マニ、ナジャ、スーナマシ、小コルシェッド、ワルー、そしてカクバイ(ヴィシュヌの母)であった。ピラマイとその娘シラは出入りしていた。スーナマシとカクバイは門のそばで見張り役を務め、ナジャは料理を担当し、メヘラはバーバーの食事や衣服、その他身の回りのことに気を配っていた。
アディ・シニアは1933年12月3日日曜日、ピラマイ、グルマイ、ドリーとともに到着した。グルマイはバーバーや他の女性たちとともに丘で過ごし、ドリーはバーバーの小屋に泊められた。その夜はアディが彼女の世話をし、その後ドリーは丘の他の女性たちに合流した。
この時期、大コルシェッド(バーバーの亡兄ジャムシェッドの妻)は、アシュラムにおける女性マンダリの厳しい隠遁生活に比べてより独立した生活を望み、アシュラムを離れてボンベイへ移った。大コルシェッドはジャムシェッドの死後、1926年にアシュラムに加わり、1928年にトカに滞在した女性たちの中にも含まれていた。彼女は後に再婚し、最終的にはカラチへ移り住んだが、バーバーの家族とは連絡を取り続けていた。
6日の夕方、ナオロジ・ダダチャンジがボンベイから到着した。建築請負業者であったナオロジは、メヘラバードにより大きなコロニーを建設する計画について話し合うため呼ばれていたのである。
脚注
- 1.この墓室は、現在メヘル・バーバーの墓所がある場所である。
