第11章: ポルトフィーノ
1933年· ババ 39歳ページ 1,561 / 5,444
バーバーは17日の夕方、プリンス・オブ・ウェールズ劇場のヴォードビル公演に招待され、数名のラバー(愛する者)たちとともに出かけた。バーバーがそこへ行ったのには特別な理由があった。それは、そのような「低俗な」公演を訪れることを他の者たちがどう思おうとも、自分を愛をもって招いてくれた人物との接触を結ぶためであった。
アバターは自らの仕事を行うために地上に来るのであり、世界中が反対しようとも意にかけない。彼が心にかけるのは、自らの宇宙的な仕事のみである。バーバーはしばらく劇場に座っていたが、ダンスを一つ見ると、退席することにした。
1933年10月18日水曜日、バーバーは数名の訪問者と会い、午後にはキムコ・グループと個別面談を行った。チャールズ・パードムが来て、自分が執筆予定の本のために、バーバーの生涯や旅に関する細部をチャンジとハーバートと話し合った。夜には、バーバーはマーガレットとメイベルのダンス・スタジオを訪れた。そこでマーガレットはバーバーのために踊り、彼の前で子どものように泣いた。
ノニーとして知られるエステル・C・ゲイリーは、ニューヨークの著名な弁護士の未亡人であった。彼女はそのとき58歳だった。ラノと呼ばれる娘のマドレーヌは31歳で、ニューヨークで数年間、布地のデザインに携わってきた芸術家であった。彼女たちは前年の夏にパリで、友人のルアノとその知人クエンティンを通じてメヘル・バーバーのことを知り、アメリカに戻ったらそこでバーバーに会えるものと期待していた。ルアノはこのときロンドンでバーバーとともにおり、バーバーの予定変更を知るとすぐにノニーとラノに手紙を書き、二人はただちにロンドンへと発った。
ロンドンに到着してからは、バーバーがどこに滞在しているのかを知るのは容易ではなかった。ルアノは住所を電報で送っていたが、ラノはそれを受け取っていなかった。ノニーは涙を浮かべながら、「バーバーはどこにいらっしゃるの? バーバーはどこにいらっしゃるの?」と繰り返した。ラノが彼女を慰め、二人ともホテルにチェックインした。
ラノはルアノとの文通がそこの住所を介して行われていたため、英語連合(イングリッシュ・スピーキング・ユニオン)に電話をかけ、そこからルアノの電話番号を教えてもらった。ラノが電話をかけると、ルアノはバーバーの滞在先を彼女に伝えた。ラノがいつバーバーに会えるのかと尋ねると、その日の午後4時だと告げられた。
