第11章: ポルトフィーノ
1933年· ババ 39歳ページ 1,548 / 5,444
バーバーが参加に同意してこの役を演じたのは、ひとえにストークス、ルストム、そして他のラバーたちを喜ばせるためであった。会議側はすでに10月29日にメヘル・バーバーの講演を聴く集会を予定して告知していたが、バーバーと一行のための宿泊の手配も、その経費の負担もできないとストークスに伝えられた。会議の役員の一人がシカゴから電報を送り、バーバーに訪問の中止を提案し、バーバーはそれに従った。1電報を受け取った後、バーバーは代わりに一ヶ月間ヨーロッパに滞在し、その後インドに戻ることに決めた。
翌日、ハイデラバード出身のパールシーであるムンシ氏がバーバーに会いに来た。彼はバーバーについてのペルシア語の詩を作っており、それを朗誦したいと願っていたが、バーバーと相対すると、その師の御前で一言も発することができなかった。彼はバーバーを見つめたまま立ち尽くし、それから静かに去って行った。
翌日、ムンシ氏は涙ながらにチャンジにこう語った。「私はバーバーのサドラに口づけしたかったのですが、不敬に当たるかと思ってそうできなかったのです。バーバーの周りには光以外何も見えませんでした。それを説明することができません。あの方のダルシャンを賜ったことは最大の幸いであり、お会いできたことは私の大いなる僥倖でございます。同じ船であの方と旅をしているとは、なんという特権でしょうか!私が西洋へ遣わされた理由はまさにこれだと感じます——ただバーバーのようなブズルグ[偉大なる存在]にお会いするためにのみ!」
ムンシ氏はその後、他の乗客のうちの何人かにメヘル・バーバーについて語った。
1933年10月1日日曜日、バーバーはひどい歯痛があると訴えた。アディ・ジュニアが船医のもとへ行ったが、医師は患者を診察せずには薬を出せないと拒んだ。チャンジはこれを回避しようと、うがい用の薬がほしいと頼みに医師のもとへ行った。ところが医師は彼を、アディが言っていた患者だと思い違えて、即座にチャンジの歯を診察した。チャンジは自分の歯は何ともなく、薬は要らないと抗議した。自分は患者ではないとチャンジが説明しようとしても、医師は彼の訴えを意に介さず、チャンジの歯に薬を塗った。医師はチャンジに30分間じっと座っているように言った。15分後、医師は非常に苦い薬剤をチャンジの口に注ぎ入れた。チャンジはバーバーのために薬を取りに行ったのに、口の中に苦い味だけを残して戻って来た。
脚注
- 1.この会議(シカゴ万国博覧会と同時期に開催された)は信仰連合(Fellowship of Faiths)が主催したもので、第二回世界宗教会議として知られている。4万4千人の代議員が参加した。
