第11章: ポルトフィーノ
1933年· ババ 39歳ページ 1,547 / 5,444
バーバーは三種類の信仰について説明した。
「神を感じ体験できる第二段階へ私を向かわせてください!」とハイデリは言った。
バーバーは助けを約束し、こう答えた。「これに関する指示を明日お送りします。」
ハイデリは、妻もバーバーに会えれば喜ぶだろうと、妻のための面会の予定もとってほしいと頼んだ。バーバーは翌日午後5時がよいだろうと示した。ハイデリは大いに気持ちを高揚させて去って行った。バーバーはその老紳士をたいへん気に入った。彼は霊性に真摯な関心を抱いており、それはバーバーが常々高く評価する性質であった。バーバーは、彼が政府の高い地位にありながら謙虚であることも好ましく思った。
その同じ日、9月28日、著名なインドの舞踊家ウダイ・シャンカル(33歳)がバーバーに会いに来た。彼はヨーロッパで、四年前にシャンカルと共にインドを訪れ、シャンカルの舞踊団の西洋訪問の費用を負担していたスイスの彫刻家・美術史家アリス・ボナーを通じてバーバーのことを知った。ヨーロッパ滞在中、ノリナ、エリザベス、クエンティンはウダイ・シャンカルに会い、自分たちの導師について彼に話していた。1
ウダイ・シャンカルはバーバーに恭しく一礼し、バーバーは彼を称賛してその才能に感嘆を示した。彼はバーバーにこう告げた。「私はインド古典舞踊を西洋に紹介し広めたいのですが、インドの一部の団体が私を批判しております。彼らは自分たちの機関、団体、協会のために私から金銭を求めますが、私には差し上げる金などないのです。」
バーバーはアルファベット盤にこう綴った。「すべての善き働きは反対に直面しなければなりませんし、そこに生じる反作用は常にその働きを助けるものです。ご心配には及びません。誠実に、正しい方向へ二倍の熱意をもってあなたの仕事を続けてください。」
シャンカルはそれから言った。「バーバー、いつかあなた様のために舞踊公演を捧げたく存じます。」
バーバーは答えた。「ぜひ拝見できれば嬉しく存じます。」
シャンカルはバーバーのダルシャンを賜り大いに喜んだが、別れ際にバーバーは彼にこう注意なさった。「船内の誰にも私のことを知らせないでください。私は誰にも会いたくないのです。ブリンディジで下船する前に、私に会いに来てください。」
その夜、ニューヨークのノリナとグラハム・ストークス、そしてロンドンのキティから電報が届き、シカゴの万宗教会議に参加していた代議員の大多数がすでに去り、会議も終わりかけているとのことであった。バーバーはもとより会議への参加に乗り気ではなかったため、この知らせに安堵した。
脚注
- 1.全盛期、ウダイ・シャンカルの舞踊技量はロシアの舞踊家ヴァーツラフ・ニジンスキーに比肩されるほどであったが、それは古典バレエではなくインド古典舞踊であった。(ウダイは著名なシタール奏者ラヴィ・シャンカルの兄であり、ラヴィもこの時期にバーバーに会っている。)アリス・ボナーはその後インドへ移住し、1936年から1978年までベナレスを住まいとした。
