第11章: ポルトフィーノ
1933年· ババ 39歳ページ 1,545 / 5,444
バーバーは答えられた。「これは私の命令です。私の指示を果たすため、もう一度彼のもとへ行きなさい。さもなければ、私のもとを去り、二度と私に会いに来ないでください!」
「ですがバーバー」とデーシュムクは抗議した。「私はもうあなたのものとなりました。他の誰のもとへも行きたくはありません。」
「私のものであるとは、私の意志を守ることを意味します。あなたがそれを行えないのなら、どうして自分が私のものだと言えますか?」とバーバーは問われた。
デーシュムクは無力感を覚え、ナーグプルの自宅へ戻った。幸運にも、その後ウパスニ・マハラジがナーグプルを訪れることになった。
胸を満たす怯えを乗り越え、デーシュムクは勇を鼓して彼に会いに行った。彼は最近自分が書いた小冊子『わが師とその教え (My Master and His Teaching)』を持参した。その内表紙にはメヘル・バーバーの写真が掲載されていた。
不思議なことに、今度はウパスニ・マハラジはデーシュムクに会えたことを喜び、たいへん穏やかで親切、思いやりに満ちていた。そばに座らせて、愛情を込めて話しかけた。デーシュムクはメヘル・バーバーに関する自分の小冊子をウパスニ・マハラジに捧げた。バーバーの写真を見ると、マハラジは恭しくその小冊子を額に当てた。彼は小冊子に花輪をかけ、それをプラサード[神の恵み物]としてデーシュムクに返した。
こうしてデーシュムクは、サコリでウパスニ・マハラジから受けた手荒い仕打ちが、メヘル・バーバーや師たることに対する自分の誤った考えゆえだったと確信するに至った。それ以来、彼はメヘル・バーバーに対して岩のような揺るがぬ信を抱くようになった。
バーバーは、ナシックの地元の学校で開かれていたマハーラーシュトラ詩人会議への出席を招請された。彼は9月16日にその会議へ短く姿を見せることを承諾した。バーバーは壇上に案内され、主催者の一人から謝意を受けて花輪をかけられた。
その日、マズムダルという弁護士がナシックを訪れた。彼が不安に苛まれているのを見て、バーバーは次のように慰められた──
困難を思い悩まないでください。それらを深刻に受け止めすぎないでください。物事は来るに任せ、去るに任せなさい。あれこれと気を揉まないでください。いかなる状況下でも、心を抑え、揺るがず保ちなさい。
霊性とは至って単純なものですが、パンディット[祭司]やヴェーダーンタ学者たちはそれにあまりに多くの名と相を与え、巻ごとに何百ページもの無味乾燥な哲学で埋め尽くしてきました。普通の人々は、何を受け入れ何を退けるべきか、何を行い何を行うべきでないか、戸惑っています。事態はそのような様相を呈し、そこまで進んでしまったため、霊的な求道者に修行として与えられる単純なものは真剣に受け取られなくなっています。軽んじられ退けられるため、師たちでさえこの単純なものに磨き上げた装いを施し、厳かで、静謐で、威厳あるさまを示さねばならぬのです!
