第11章: ポルトフィーノ
1933年· ババ 39歳ページ 1,518 / 5,444
チャンジは今になって、バーバーの言葉の意味を悟った。彼は胸が痛み、バーバーに顔を合わせるのを恐れた。バーバーは海に面した窓もない小さく暑い客室で、十一日間の旅に耐えなければならないからである。チャンジは何が悪かったのか、ついに突き止められなかった。たいへんな苦労と、給仕係および事務長との激しい議論の末に、彼らはバーバーの客室を外側客室(三三九号)に変更することに成功した。その際、旅全体を取り消すと彼らを脅したのである。
五度目の海外旅行で、バーバーはチャンジ、ペンドゥ、アディ・ジュニア、カカ、ダドゥを伴い、蒸気船ヴィクトリア号でボンベイを出航した。ジェノヴァまでの航海はひどいものだった。新しい客室さえ窮屈で、マンデリはバーバーに会うことをあまり許されなかったため、バーバーの機嫌は悪かった。彼らは別の低い等級で旅しており、その等級の乗客はバーバーのデッキに入ることを許されていなかった。さらに悪いことに、実際ほとんど全員が船酔いしていた。客室は一人にも狭かったが、カカは航海のあいだずっとバーバーと一緒にいた。
いつものように二、三人のマハラジャが乗船していたが、バーバーは誰にも会うことを望まなかった。人に気づかれないよう、バーバーは乗組員専用の船内区域を歩いた。しかし六月十六日にアデンへ寄港した際、バーバーは現地のパールシーの愛者数人がダルシャン [拝謁] のため乗船することを許した。十八日、バーバーはボンベイで高位の司法職(プレジデンシー治安判事)にあったナナバイ・ジャングルワラと、その妻子に短く会った。
一週間後の一九三三年六月二十三日、バーバーはジェノヴァに到着し、キティとミンタに迎えられた。ホテル・アストリア・ベルグラーノに二日滞在した後、ノリナ、エリザベス、アニタ・デ・カロが合流し、彼らをサンタ・マルゲリータへ車で連れて行くために到着した。エリザベスは、ポルトフィーノの中央広場近くの崖の上から地中海を見下ろすヴィラ・アルタキアラを借りていた。バーバー、マンデリ、西洋人たちは六月二十八日に入居した。しかし、そのヴィラは全員を収容するには十分な広さではなく、サンタ・マルゲリータの別の家も借りられた。
今回のイタリア滞在中、バーバーは皆を忙しくさせた。特に執筆、タイプ打ち、その他その種の仕事であった。キティとミンタは家の準備をするため、一行より先にポルトフィーノへ到着していた。キティがすべてを監督することになっていた。キティの兄ハーバートは七月四日に中国から到着した。オットー・ハース=ハイエ、ヘディ・メルテンスとその十五歳の娘アンナカタリーナ・レリはチューリヒから来た。エニッドはミラノから、三十九歳のアリス・トラウ(後のフィッシャー)はウィーンから来た。1アリスはウィーン国立歌劇場のオペラ歌手だった。彼女は三年半前にニューヨークの茶会でノリナと出会い、前年にはウィーンで再会しており、二人は定期的に文通していた。ノリナが彼女のことをバーバーに話し、バーバーは彼女を招待させた。
脚注
- 1.ハーバートの船はインドに短く寄港していた。彼は一九三三年六月二十二日にボンベイでアディ・シニアとヴィシュヌに迎えられた。二人はバーバーから、ハーバートにイタリアへ来るよう伝え、どんな状況でもバーバーのダーマン [衣の裾] を離さず、無条件に従うべきだと説明するよう指示されていた。
