その後、チャンジはイェラウダ中央刑務所からグジャラート語で書かれたガンジーからの以下の返事を受け取りました:
1932年10月10日
所長気付
イェラウダ中央刑務所、プーナ
ダーダチャンジ兄弟、
これはあなたの23日付けの手紙への返事です。私はバーバーに関する私の立場を明確にしたいと思います。一人の人間が別の人間が神を見るのを助けることができると信じることは非常に難しいと感じます。私のハートはこの考えを受け入れることを拒否します。しかし、バーバーがそのような主張をするとき、私は彼に言えるのは、もし彼が私に神を見せることができるなら、彼の助けを歓迎するということだけです。人が神を見たと言うからといって、その人が必ず神を見たと信じる必要はありません。そのような主張をする多くの人々は妄想に苦しんでいることがわかります。多くの場合、その主張は単に自分自身の願望の反響にすぎません。私は確かに、神を見ることが私たちの外にある何らかの力を見ることを意味するとは信じていません。なぜなら私は神が私たち全員のハートに住んでいると信じているからです。しかし、何千人に一人だけがハートを通じて神を知っています。知性で神を知るだけでは十分ではありません。この意味で、誰も他者が神を見るのを助けることはできないと確かに感じます。
神を見ることができるようになるために、他人の主張で断食することはできません。私は内から衝動を感じたときにのみそうするでしょう。そしてそのような衝動があるとき、私は誰によってもその一歩から思いとどまらせられることを許しません。断食が私が神を見るのに役立つと仮定する理由は全くありません。私が40日間断食することに同意すればバーバーが私に神を見せることができるとは信じられません。それは簡単な取引でしょう。そのように簡単に神を見ることができるなら、その体験は私にとって価値がありません。
私はバーバーは人生を別々の分野に分けないと思っていました。人生がダルマに捧げられている人にとって、政治、経済などはすべてダルマの側面であり、それらのいずれかを除外することはできません。私によれば、ダルマを人生の多くの活動の一つとみなす人は、ダルマが何であるかを知りません。したがって、いつか私が政治、社会改革、その他の同様の活動をやめるかもしれないということは、私には考えられません。私はダルマのために政治、社会奉仕などの分野に入りました。
