第11章: ポルトフィーノ
1932年· ババ 38歳ページ 1,471 / 5,444
ルスタムは成功しなかった。当時、個別の面会は許可されていなかったからである。
間もなく、イギリス政府が面会の制限を解除し、バーバーは1932年9月21日の朝、ナーシクからチャンジとラムジューをガンジーのもとへ遣わした。ガンジーは刑務所の開けた中庭にあるベッドに座り、チャルカ〔綿を糸に紡ぐ糸車〕を回していた。ガンジーは彼らを温かく迎え、近くに座らせた。二人は次のような会話を交わした。
ガンジーが口を開いた。「ああ、メヘル・バーバーが戻られたのですね! 私が知ったのは今朝『〔ボンベイ〕クロニクル』を見てのことです。私は新聞を細かく読むほうではありませんが、サルダール〔パテル〕は隅から隅まで読み、それで私に知らせてくれたのです。バーバーはいつお戻りになったのですか?」
ラムジューが答えた。「バーバーは9月5日にインドへお戻りになりました。」
ガンジーが尋ねた。「なぜ新聞には長らくバーバーに関する記事がなく、お戻りになったことすら載らなかったのでしょうか? バーバーがヨーロッパへ発たれた時には、インドの新聞でそれを読みましたが。」
チャンジが答えた。「その理由は、バーバーのご帰国が公にされていなかったからです。」
ラムジューが口を挟んだ。「『クロニクル』に載った記事すら、バーバーの承認を得たものではありません。先日、あなた様との面会を得られなかったルスタムが、それを掲載させたのです。」
ガンジーが言った。「私はよく身近な者に、なぜメヘル・バーバーから何の便りもないのかと尋ねます。ここではほぼ毎日バーバーの話が出て、私たちの会話の中にお名前が顔を覗かせるのです。バーバーはもうお話しになり始めましたか?」
ラムジューが答えた。「あの方はアメリカで沈黙を破られる予定でしたが、そうはなさいませんでした。」
チャンジが説明した。「あの方の最初の言葉をラジオで放送するための大がかりな準備が整えられていましたが、バーバーはそれを延期され、沈黙を破られませんでした。」
ラムジューが言った。「これはあの方の沈黙の八年目にあたります。七月に満七年を終えられました。」
ガンジーが言った。「ええ、彼が沈黙を破るための準備については読みました。しかし本当に、もうやり過ぎではありませんか!」
ラムジューはそれから言った。「バーバーは中国と日本にもいらっしゃいました。」
ガンジーは驚いて答えた。「ああ、アメリカに加えて中国や日本までも巡られたのですか? アメリカには何日滞在されたのでしょう?」
チャンジは自身もバーバーに随行したと説明し、こう言った。「あの方はあちらに約十五日間滞在されました。日本にはわずか一日、中国には一週間お留まりになりました。
