第2章: メルワンの誕生
1909年· ババ 15歳ページ 145 / 5,444
その瞬間、メルワンは、その一節が指している慈悲深き者はまさに自分であると感じた。彼は仏陀の絵を見つめ、内側で感じた。「私は仏陀である。」
しかし彼は自分に問いかけた。「私は本当に仏陀なのか。」すると内なる声が確信をもって彼に告げた。「そうだ、メルワン、あなたがそうだ!」1
ある夜、火葬場で燃える遺体を見つめながら座っていたメルワンは、ラムナートに尋ねた。「友よ、きみは仏教にそれほど関心があるのだから、もっと多くを学べるラングーンへ行ってみてはどうだろう。」
ラムナートはいつもメルワンの助言を胸に刻んでいたので、間もなく、まだ十六歳にすぎなかったにもかかわらず、ビルマのラングーンまで一人で旅立った。
ビルマで重い病に倒れたラムナートはプーナへ戻り、サスーン病院に入院した。メルワンは毎日彼を見舞った。ラムナートは彼に言った。「メルワン、僕はただきみに会うためだけにプーナへ戻って来たんだ。」数日後、メルワンが見舞ったある時、その青年は友の膝に頭を置いて亡くなった。知らず知らずのうちに、ラムナートは愛しい仏陀世尊の膝の上で肉体を離れた。
若い頃から、メルワンは極めて慈悲深い人物であると見なされていた。例えば、彼はコスモポリタン・クラブの貯金を使って、プーナの貧しい人々を助ける計画を考案した。この仕事を管理するために十七人の少年からなる委員会が作られ、「秘密の十七人」と名づけられた。仕事は宣伝や公表なしに、人目につかぬ形で行われることになっていたからである。メルワンの裕福な友人たちも、クラブの資金に寄付した。現金箱が作られ、その鍵はメルワンが保管した。このお金は、ある貧しい家族や障害のある人を助けるために使われ、時には困窮者を病院へ連れて行くためにも使われた。ある週に寄付が集まらないと、メルワン自身が自分の必要や望みを犠牲にして、お金を寄付した。こうして委員会は慈善活動を続けることができた。
もう一つの出来事は、若者としてのメルワンの並外れた親切さを示している。ある朝、彼とベイリーはキャンプ地区のサチャピール通りを通っていた。メルワンは重要な用事の途中で、二人とも急いでいた。そのとき、道端に横たわってうめいている一人の浮浪者がメルワンの目に入った。たいていの少年なら、さらに急いで先へ進んだだろう。しかしメルワンは違った。彼は立ち止まり、その男が誰なのか、誰の治療を受けているのか、どんな症状があるのか、その他さまざまなことを尋ねた。その男は自分の病気を説明し、市立慈善診療所から薬をもらって飲んでいると言った。
脚注
- 1.メヘルという名は、慈悲を意味することもある。
