第10章: 歌い始めた西洋
1932年· ババ 38歳ページ 1,439 / 5,444
マーヤーに囚われた大方の人々と同様、ハリウッドの著名人たちが抱く真の霊性についての理解、あるいはメヘル・バーバーのアバターたることが実際に何を意味するのかについての理解は、深みを大きく欠いていた。
1932年6月2日木曜日、バーバーは再びパラマウント・スタジオを訪れ、ジャネット・マクドナルドとともに『ラヴ・ミー・トゥナイト』を撮影中であった四十三歳のモーリス・シュヴァリエに会った。タルーラ・バンクヘッドがその場におり、バーバーのもとへ駆け寄って彼を抱きしめ、口づけした。シュヴァリエはバーバーと握手を交わし、お会いできて何と嬉しく光栄であるかを口にした。バーバーがこの七年間沈黙を守り続けていると告げられると、シュヴァリエは「私にはそんな意志の力はありません」と語った。
その日の午後遅く、メアリー・ピックフォードが三時半に個人面談のためバーバーを訪ね、バーバーの御前で五分間瞑想した。その後バーバー、メレディス、チャンジ、クエンティンは、「非常に立派で誠実な人物」である監督兼プロデューサーのエルンスト・ルビッチの車でサンタモニカへ行き、彼の家で共に茶を飲んだ。(ロム・ランドーが、クエンティンのためにルビッチとフォン・シュテルンベルク宛の紹介状を書いていた。)
夕方、バーバーはクエンティンとともにタルーラ・バンクヘッド邸へ夕食に出かけ、また二十六歳のグレタ・ガルボにも会うことになっていた。しかしながらガルボは直前になって電話をかけ、体調が優れず行けないと伝えてきた。ガルボに会えなかったことに対し、バーバーはあからさまに落胆を見せた。彼はかつてガルボを、ハリウッドのスターの中で「最も霊的」な人物であり、前世ではヨギであったと語っていたからである。
その晩バーバーは皆を連れて、支配人のシドニー・グローマンに招かれていたグローマンズ・チャイニーズ・シアターへ赴いた。バーバーは映画の前に行われたバラエティーの出し物を楽しみ、とりわけコメディアンのウィル・マホーニーの演技を気に入った。グレタ・ガルボの最新作『グランド・ホテル』が上映されており、バーバーは彼女の演技を称賛した。1
バーバーは三日に個人面談を許した。今回の旅の間にバーバーと幾度も会った者の一人に、三十一歳のギャビン・アーサーがいた。2アーサーは占星術への深い関心をマーク・ジョーンズと共有していた。彼は海辺の砂丘に「自由思想家たち」のユートピア共同体を築いていた。ニューヨーク時代からマルコムとジーンを知っていたサンタバーバラの著名なヴァイオリニスト、ロデリック・ホワイトが、彼と数名のほかの「砂丘の住人(デューナイト)たち」を連れてきた。アーサーはバーバーをその共同体に招き、バーバーも承諾したが、時間が足りずに訪れることはできなかった。
ニューヨーク・ブルックリン出身の三十一歳のサム・コーエンも、ニッカボッカー・ホテルでのレセプションでバーバーに会った。サムは、長らく霊性と〈道〉に関心を寄せてきた求道者であった。カリフォルニアへ移る前に彼は神智学協会に加わっており、そこで初めてバーバーのことを耳にした。サムは次のように回想している。
部屋に入ると、目の前に大層幸せそうに微笑んで座っている方が見えた。その印象は、申し分のない優雅さと愛とが一つに結ばれたものであった。聖なる御方はただ私の手を握り、私をじっと見つめられた。導師の握手はただの握手ではなく、その眼差しもただ人を見るだけのものではない。その御手と御眼差しによって、人と神性を隔てる「ヴェール」が薄められ、ときには完全に取り除かれるのである。
脚注
- 1.グレタ・ガルボは、絶賛された美貌と劇的な迫力で名高いスウェーデン系アメリカ人の映画女優であった。『グランド・ホテル』はその年のアカデミー賞作品賞を受賞した。
- 2.ギャビン・アーサーは、第二十一代アメリカ合衆国大統領チェスター・アラン・アーサーの孫であった。
