第10章: 歌い始めた西洋
1932年· ババ 38歳ページ 1,410 / 5,444
ブライアクリフから遠からぬ、ニューヨーク・セントラル鉄道の列車が電気機関車から蒸気機関車に切り替わるハーモンには、メヘラシュラム(慈悲の家)と呼ばれる隠遁所が用意されており、間もなくあらゆる宗派の敬虔な人々が、シュリー(殿)・サッドグル(完全なる導師)・メヘル(慈悲)・バーバー(父)と呼ばれる、長髪で絹のような口髭を蓄えた預言者に会うことになる。1インドの同じ宗教を信奉するパールスィーたちにとって、38歳のメヘル・バーバーは「神-人」または「メシア」である。他の多くの信奉者にとって、彼はただ「完全なる導師」である。ハーモンで彼を待つアメリカの後援者マルコムとジーン・シュロスは、彼について考え、書く際に大文字――He, Him, His, Himself――を用いる。来週、神-人はイギリスから出航し、5月16日にメヘラシュラムに到着する予定である……
ほぼ七年間、メヘル・バーバーは一言も発していない。当地のアメリカの隠遁所に到着すると、彼の唇は盛大な儀式とともに解き放たれることになる。それまでは、文字と数字の記された小さな板を持ち歩き、何か言いたいことがあるときにはそれを指し示す。彼はニューハンプシャーとカリフォルニアにも隠遁所を設ける意向である。メヘル・バーバーは数多くの奇跡を行ったとされているが、今彼が望むのは、ただ「アメリカの方々に、私自身が享受しております無限の状態を悟らせること」だけだという。それを成し遂げる彼の方法は謎めいていながら、安心を与えるものである。「神に魂を満たさせなさい。私が何であるか、あなた方もそうなのです。」2
バーバーがニューヨーク市に滞在したのはわずか三日間であったが、数百人もの人々が彼に会いたがった。ノリナがバーバーのスケジュール調整を担当していた。さらに多くの記者がインタビューに訪れ、「インドのメシア」について多くの記事が地元の新聞に掲載され、それによってさらに多くの人々の関心が彼に集まった。しかしながら、バーバーはすべての人に会ったわけではなく、選ばれた少数の者にのみ個人面談とダルシャンを与えた。3
バーバーが面会に応じた記者の一人が、マルコムが連絡を取っていたフレデリック・コリンズであった。コリンズはある日の午後、ストークス家の自宅でバーバーとお茶を共にする席に招かれた。インタビューが始まると、コリンズはバーバーに結婚しているかどうか尋ねた。以下はそれに対するバーバーの答えと、二人の会話である:
「結婚ですか? いいえ。私にとって性は存在しません。現代の結婚は、あまりにも事業的な事柄でありすぎます。しばしば離婚に終わるのも当然のことであります。夫と妻は、互いを第一に考えるべきであります。幸福な家庭生活のためには、無私の愛が情欲に勝ることが肝要であります。」
「我々アメリカでは、今、性以外にも他の問題があります」とコリンズは口を挟んだ。
脚注
- 1.メヘル・バーバーがアメリカに到着したのと同じ月、ニューヨーク州ブライアクリフでもブックマン博士の率いるキリスト教復興運動が起こっていた。『タイム』誌記事の冒頭の段落はこうであった:「一世紀前にニューヨーク北部を席巻した復興主義的敬虔の熱風があまりに激しかったため、モルモン教やシェイカー派、オナイダ共同体などが栄えた郡は、今でも時に〈焼き払われた地区〉と呼ばれる。先週、ニューヨークではハドソン川沿いの二地点[ブライアクリフ・マナーと、メヘル・バーバー一行のいたハーモン]で、新たな宗教思想が動き始めた。」
- 2.『タイム』誌、1932年5月2日、24頁。
- 3.ある記者は、クエンティン・トッドの「饒舌さが、その師の沈黙を補っている」と書いた。(『ニューヨーク・タイムズ』、1932年5月19日。)
