第10章: 歌い始めた西洋
1932年· ババ 38歳ページ 1,366 / 5,444
彼らは実際に、私たちが会うまでの時間を数えているのです!
すでに私と接触し、計り知れぬ影響を受け感銘を覚えた人々は、社会や世から離れた修道士や修道女ではなく、社会において高い地位と大きな影響力を持ち、大きな魅力を備え、ロンドンやニューヨークのような都市で華やかな生活を送る人々なのです。
[私たちが西洋に着いたら]、それがどのようなものであれ、ごくわずかな務めの呼び掛けにも応える用意をして、常に機敏で活動的でいるようにと、どうかお忘れにならないでください。あらゆる状況、あらゆる環境と境遇のもとで、幸せでいてください。良い料理[食べ物]に恵まれ、立派な寝床があるのなら、幸せでいてください。断食しなければならず、寝るための寝床も[なくとも]、それでもなお幸せでいてください。あなた方には全く想像もつかない、偉大な仕事がこれから待ち受けております。そしてあなた方は、人々があまりに性急に判断し、賢く鋭い西洋での私の偉大な仕事のために選び出された少数の方々なのです。
二日後の31日、バーバーは次のように述べた:
マンダリには三つの型がいます。助けてくれる者、重荷となる者、そして妨げとなる者です。
私を抱え上げて運んでくれる者たちが、最良の助力者です。私を抱え上げることはできなくとも、私のそばに寄り添い、私の仕事を支え、また多くの助力を与えてくれる者たちです。
しかし、私を抱え上げることができないうえに頑なで、私が抱え上げようとするのを拒む者は、重荷です。
妨げる者とは、私が抱え上げることを許さず、私のそばにも寄り添わず、それどころか私が抱え上げようとすると、後ろから私の手を引っ張り、私を妨げ、私と争う者のことです。
その日の夕方七時、バーバーとマンダリはエジプトのポートサイドで上陸し、市内のレストランで夕食をとった。バーバーは腹痛のため多くは食べられず、おまけに店主は法外な料金を吹っかけてきた。しばらく値段交渉をした末に勘定は片付いたが、バーバーはこの一件にひどく不快感を覚えた。それからバーバーはチャンジに、良い少年を一人連れてくるよう言いつけた。ガイドの助けを借りて一人連れてきたが、バーバーは気に入らず、一同は夜中に船へ戻った。コンテ・ロッソ号は翌1932年4月1日の朝八時にポートサイドを出港した。
ボンベイで行われたインタビューに関するAP通信の報道により、バーバーの旅は今回広く知られることとなり、船上の多くの者がバーバーに会いたがった。
