第10章: 歌い始めた西洋
1932年· ババ 38歳ページ 1,364 / 5,444
これは前年のバーバーの航海とは大きく対照的であった。その時バーバーは出発を誰にも知らせず、静かに西洋へ航海していたのだ。
K・J・ダストゥールに使いがやられたが、彼は現れなかった。今回の旅にも含まれなかったため、敵意の火が彼の胸の中で一層激しく燃え上がったのだ。1928年にルストムを英国へ送る前、バーバーはまずダストゥールに行くよう頼んでいたが、その時彼は断っていた。今になって、彼はバーバーと一緒に行きたいと願った。彼の振る舞いがそのようなものであったため、バーバーはダストゥールをどこへも連れて行くのを嫌い、ナシクにいる他のマンダリからも遠ざけておいた。この西洋への旅の後、ダストゥールはナシクからボンベイへ完全に移り住み、バーバーとの関係を徐々に絶っていった。
バーバーとアディ・シニアは二等船室(最初は107号、その後116号)を使い、ベヘラムとアディ・ジュニアは別の船室を、チャンジ、カカ、ガニは三つ目の船室を使った。一行にはもう一人加わっていた。アディ・ジュニアはアイリーン・ネトルトンという二十歳のアングロ・インディアンの娘と知り合っており、その娘の両親は一行が出発する直前に同行を許可したのだ。アイリーンは魅力的な性格の、色白で美しい娘であったが、船上でバーバーの霊性についての長い説明に好意的に応えることができなかったため、バーバーは彼女が適していないと述べた。この状況は最初の日からバーバーの気分を害した。チャンジは再び都合の良い身代わりとなった。
インドでは夏が近づいており、船上の日々は暑かった。バーバーはアイリーンやマンダリと共に、一日に二度卓球を楽しんだ。甲板を散歩する際には、長い髪をほどいたままにしていた。時には、夜に甲板で映画を見ることもあった。ほとんどの場合、バーバーは船室にとどまり、スチュワードの許可を得てそこで食事をした。マンダリ、特にアディ・シニアはイタリア料理を堪能したが、バーバーはその料理をほとんど食べず、概して体調がすぐれず、上陸前に四日間の断食をしようかとさえ考えていた。
いつものように、バーバーは目立たず隠遁の状態を保つことを好んだ。そのため、マンダリに与えた最初の命令はこうであった、「船上の誰とも面会してはなりません。」
マンダリは尋ねられない限りバーバーのことを誰にも語らず、概してその身元を明かさないよう指示された。厳格にプライバシーを守っていたにもかかわらず、バーバーの人格はあまりに強力であったため、たまたま視線を投げた者や何気なく通り過ぎた者にも、即座に深い印象を与えた。
