第10章: 歌い始めた西洋
1932年· ババ 38歳ページ 1,358 / 5,444
この[私の活動]すべてをあなた方は外側から観察していますが、私が内側で何をしているのか、あなた方には決して知ることはできません!そのために私は申し上げるのです——私を耐え忍び、すべての苦難や嫌がらせに耐え、私の言う通りに行い続けてください。私は何らかの媒介を通して働き、その媒介は私の作業に必要なのです。あなた方には決してそれを把握することはできません。
あなた方の見方では一人の少女が最も適しているかもしれませんが、私にとっては私の作業にふさわしくありません。私は特定の作業のためにふさわしい媒介を求めていますので、あなた方が連れてきた者たちを送り返したのです。愛と献身を持ち、ハートが清らかな貞淑な少女を連れてきてください。
翌日、バーバーはこう付け加えた。「世界は今や全体の作業体系と機構の徹底的な総点検が必要な段階に達しており、これはすでにワリーたちに与えられた任務の変更を通じてなされております。」
最初の海外巡訪の間に多くの西洋女性がバーバーと接触し、バーバーは自身の作業の媒介として西洋へ連れていくインドの少女を望んでいた。ヴィシュヌはインドゥと呼ばれる従妹のヤムナ・ハルダンカルを連れてきて、バーバーは認めたが、出発の時になるとインドゥは病気で残らねばならなかった。
1932年2月21日日曜日、バーバーはアディ・シニア、グルマイ、ガニ、カカと共に車でボンベイへ向かい、他のマンダリは列車で後を追った。1
バーバーがボンベイに滞在中、ピラマイは2月25日に娘のシラを連れてやって来た。ピラマイは女性マンダリと共にナシクに滞在するつもりでおり、メヘラバードやトカでバーバーと共に過ごしたことがあり、バーバーもカラチの彼女の家に何度か滞在したことがあった。結局、ピラマイはバーバーと共に数年間留まり、最後まで熱烈にそばに寄り添い続けた。
バーバーと共に西洋へ同行する適した若き候補者の捜索は続いた。『デイリー・メール』に再び広告が掲載され、応募希望者は面接のために部屋を借りていたマジェスティック・ホテルへ来るよう案内された。アディ・シニアとアディ・ジュニアはホテルで待ったが、誰も現れなかった。一方ジャルバイ、ペンドゥ、ラオサヘブは適した少年や少女を探しに出て数名を連れてきたが、誰も認められなかった。ルストムがベヘラムの助けで捜索を手伝うためナシクから呼び寄せられ、チャンジはYMCAの誰かに連絡を取り、ガニは捜しにロナヴラへ送られたが、誰も連れずに戻ってきた。
脚注
- 1.チャンジとブアサヘブは、マネクジとバヌバイ宅での滞在の手配のため、先に出発した。
