第10章: 歌い始めた西洋
1931年· ババ 37歳ページ 1,266 / 5,444
ハーバード大学院で一学期を終えた後、マイロは劇作家ソーントン・ワイルダーから千ドルを与えられた。『自分の望むところへ行き、一人前の男になって帰ってこい……“自分の意志するところ”へ行け』というのである。私はあらゆる予見を越えて行った。1930年のエイプリルフールの日、私はいつものような混乱の中、北デヴォンのメレディス・スターの家に到着した。そこで私の真の人生が形を取り、それ以前とそれ以後のすべての経験は、ただ例証にすぎないものとなった。
マイロはデヴォンで一年半を過ごし、小さな私立男子校で二学期間教えた。1931年の夏、メレディスはマイロをアメリカへ送り、関心を持つ何人かの人々に連絡を取り、メヘル・バーバーと、その年の秋に予定されていたバーバーの英国訪問について知らせさせた。
ワトソンに初めてバーバーのことを話したのもマイロだった。彼はまた、キャサリン・ガードナーが所有するニューハンプシャー州ハンコックの農場で、マルコム・B・シュロスとその伴侶ジーン(アドリエル)という献身的な二人にも会っていた。1マイロはマルコムとジーンに、バーバーと、バーバーが西洋を訪れる予定について話した。マルコムとジーンは霊的なリトリートを始めることを考えていた。それは『人々が時折訪れ、沈黙と瞑想の雰囲気の中で、自分の内なる資源を発見することを目指せる場所』であった。2彼らは関心を抱き、バーバーに会い、メレディスのリトリートを体験するため英国へ行きたいと切望していたが、経済的事情がそれを妨げた。
しかし彼らはメレディスに手紙を書き、メレディスはそれをバーバーに見せた。バーバーは微笑んで、『彼らは私の者です。彼らが私に会うことは不可欠です』と言われた。
友人たちの助け(そしてワトソンからの匿名の贈り物)により、マルコムとジーンは1931年10月に英国へ旅するのに十分な金をどうにか貯めることができた。ところが彼らはメレディスから、来てはならない、バーバーはアメリカへ行くことになり、彼らがバーバーのホストになるのだ、と知らせる電報を受け取った。そのため、ワトソンがバーバーに会って戻ったとき、ジーンとマルコムはバーバーの訪問の準備をしていた。ニューヨーク市から四十マイル離れたクロトン川のほとりに、彼らはバーバーとその一行が滞在する場所を見つけた。そこはハーモン・リトリートと呼ばれ、三百五十人を超える敬虔な魂に、導師の来訪が知らされた。ジーンとマルコムは大きな熱意をもってこの活動に取り組み、バーバーの訪問についてメレディスとの定期的な文通が始まった。
一方、キティとジラはその夜九時にデヴォンシャーに到着し、数分間バーバーに会った。
脚注
- 1.マルコムとジーンは結婚していなかったが、長年にわたり内縁の夫婦として共に暮らしていた。
- 2.ジーン・アドリエルからヘンリー・フォーマンへの手紙、UCLA文書館、日付不明。
