第10章: 歌い始めた西洋
1931年· ババ 37歳ページ 1,247 / 5,444
しかし私自身は、そのことについて誰にも勧めません。自分自身がしていないことを、他人にするよう求めることはできないからです。たとえば、ある人が喫煙にふけっていても、その人は他人に煙草を吸うなとは言いません。
あなたのカーディー[手紡ぎ手織りの布]普及は称賛に値します。それは安価であり、さらにその布を織る貧しい人々に生計の手段を与えます。あらゆる点で良いものです。それを使いたい人々には、私は喜んでそうすることを許します。しかし、私が説明した理由により、他の人々にそれを着るよう求めることはできません。
短い沈黙のあと、バーバーは続けた:
この話題に関連して、一つ逸話をお話ししましょう。パールシーたちは、ただ私が肉と魚を食べないというだけで、私を中傷し、シャイターン[悪魔]と呼びます。私は酒を飲まず、悪い振る舞いもしません。彼らのいうパールシーの定義とは、非菜食主義者で、酒を飲み、不道徳な生活を送りながら、同時にサドラとクスティ[ゾロアスター教の宗教的しるし]を身につけ、拝火神殿を訪れ、祭司たちの言うことに耳を傾けるべき者、というものです。したがって、彼らの行動から見れば、実のところ悪魔は彼ら自身です!要するに、パールシーは好きなことをしてもよいが、宗教的なしるしを身につけてさえいれば、プッカ[真の、忠実な]ゾロアスター教徒と見なされるのです。
同じゾロアスター教徒であるエム・エス・イラニ大佐が、かつてメヘラバードに来たことがあります。その時、私は机のような形をした小さな小屋に滞在していましたが、それは彼には鶏小屋のように見えたらしく、メヘラバードの厳しく質素な雰囲気は彼に嫌悪感を抱かせました。彼は鬱憤を晴らすため、偽のサドゥー[修行者]や聖者たちの卑しい悪事を暴くという口実で、日刊紙の紙面に私までも巻き込みました!
[イラニ大佐の行動は]誤解の一例です。彼は本当は私の友人です。彼もまた私のものだからです。私の友人と敵という人物の中に宿っているのは、ただ一つの魂です。すべての人の中にあるのは、同じ一つの魂です。人が同じ手で自分の頬をやさしく撫でたり、自分を平手打ちしたりしても、その手に腹を立てることはないでしょう。なぜなら、慰めるにせよ打つにせよ、それは自分の手だからです。同様に、私の幸せを願う人々も、私を批判する人々も、皆私のものです。すべては私に属し、すべては等しいのです。
イラニ大佐の名が出ると、ガンディーが口を挟んだ。「それはベルガウムのイラニ大佐ですか。」チャンジは、イラニ大佐が一九二七年にベルガウムの市民病院で働いていたと答えた。
