第9章: 激動の旅
1930年· ババ 36歳ページ 1,153 / 5,444
ダケ、ペンドゥ、ルストムが彼らを迎えに駅に来ていた。ルストムは17日前(バーバーが旅行のためナシクを発った日)から断食を始めており、今ここでバーバーの面前で断食を解いた。
バーバーはまずピジョン・ハウス(鳩の家)の女性マンダリを訪れ、そこで食事をし入浴した。彼は午後5時にギヤス・マンジルにやって来て、信者たち、特に少年たちが彼の周りに群がった。全員にダルシャンを与えた後、バーバーは二階へ上がって休み、たまった郵便物を1時間かけて見ていった。
ナシクへ戻った後、少年ビワがバーバーの従者の名簿に加えられた。ピラマイの息子ヴィタルもバーバーの近くにいたがっており、彼にも許可が与えられた。ベヘラムとパドリがその夜、ボンベイから戻った。
バーバーはラオサーヘブをボンベイへ送り、アガ・アリの父親に会わせた。ラオサーヘブは、アリがペルシアから戻ることができないと知らされた。母親が息子を送り出すことを望まなかったためである。(父親もいくらかの前払いを要求していた。)ラオサーヘブは1930年3月13日にナシクへ戻り、ペルシアにいるアルデシルに電報が送られた。アガ・アリがインドへの帰国を許されないのであれば、アルデシルが戻るようにという内容だった。
一方、カシミールの少年パンディットは、学校の試験のためにナシクへ来られないと手紙をよこしていた。パンディットには、試験が終わり次第来るようにと再度電報が送られた。
13日、市内のハリジャンの指導者がバーバーを訪ねてきて、差別的な虐待のために雇用主に対してストライキを行う決意を彼に伝えた。彼は導師の助言を求め、バーバーは次のように与えた。
「持ちこたえて、非暴力的に10日間ストライキを続けてください。そうすれば成功するでしょう。あなた方の不満は解決されるでしょう。あなた方に私の祝福を送ります。」
その男はバーバーにストライキを見に来るよう招いたが、バーバーはそうすると約束はしなかった。
しかし翌日、ヒンドゥー教の祝日ホーリーを祝うために訪れたタポヴァンからの帰り道、バーバーは運転手にストライキ中のピケが立っている寺院の前を通るようにと告げた。ストライキ参加者たちはバーバーに気づいて歓声を上げたが、バーバーは車から降りなかった。彼はその様子をしばらく眺めたあと去って行った。
バーバーはナシクへ戻ってから体に出始めた腫物のため、ひどい痛みに苦しんでいた。歩くこと、座ること、横になることが彼には難しく、軟膏を塗ってもひどい痒みに悩まされた。
