第9章: 激動の旅
1930年· ババ 36歳ページ 1,143 / 5,444
バーバーは翌朝十時に出発する予定であったため、コールハープルでは何の予定も組まれていなかった。しかしその朝、近くの高等学校の校長W・D・トプカネがバーバーに会い、自分の学校を訪れてくれるよう願い出た。バーバーはこれを承諾し、午前8時半にそこへ赴いた。彼は生徒、教師、職員に対し、霊的生活のさまざまな側面――神的体験、愛、恩寵、エゴの放棄について話した。トプカネと副校長G・Y・ディクシットは導師への深い献身を表し、バーバーは、彼らが生徒たちに政治や職業よりも霊性の重要性を強調しようと努めていることに、たいへん満足した。
トプカネは、かつて名門のインド文官職で高位にあった一人のスワーミーをバーバーに紹介した。そのスワーミーは輝かしい経歴を捨てて、無私の奉仕の道を選んでいた。バーバーはスワーミーに会えた喜びを表し、彼に向かってこう述べた。
あなたが全てを放棄されたのは良いことです。しかしすべてを放棄した後も、「私」は依然そこにあります。そして「知識」を得るためには、この「私」は完全に根絶やしにされなければなりません。どれほど大きな物質的自己犠牲をもってしても、この「私」を消し去ることはできません。心はこう言います。「私はこれをした。私はあれをした。私は他者のために善を行う」と。心が死ねば、すべての欲望は消え去ります。しかし心は最後まで残るのです。神-実現を達成するためには、この「私」は完全に去らなければなりません。
バーバン・シャハーネ(カーカの息子で、メヘル・アシュラムの初期の生徒の一人)も、ここでバーバーのダルシャンを受けた。バーバーは、バーバンの兄モーハンの友人であり学生でもある24歳のヴィナヤク・ダモダル・カルナタキに向かってこう述べた。
自己を放棄することで、あなたの人生をこの学校に捧げなさい。しかし、あなたが他者のために何かをしているという考えさえ抱いてはなりません。そうして初めて「私」が徐々に小さくなっていきます。
理学士試験に臨み、学位を得るよう努めなさい。しかし、合格しても喜ばず、不合格でも落胆してはなりません。成功と失敗は、あなたの目には同等であらねばなりません。仮に合格したとしても、「合格したからには、不合格だった場合よりも良い奉仕ができるだろう」などと考えてはなりません。これは望ましくありません。「私」があってはならず、野心もあってはなりません。至福[の存在]を除いては、創造のどこにも他のものは存在しません。
バーバーはそれからヴィナヤクに、何を考えているのかと尋ねた。「修士号を取りたいのです」と、その青年は答えた。「両親が、そうするようにと繰り返し私に勧めてきたのです」
