第9章: 激動の旅
1929年· ババ 35歳ページ 1,106 / 5,444
町に到着するとバーバーは上機嫌で、チャンジに新しい帽子を、ヴィシュヌに新しいコートを与えた。
バーバーはヤズドに戻ったが、それでも自身の隠遁の目的には適さないと判じ、離れることを決めた。出発の日である10月28日、バーバーはゾロアスター教のマーカー学校への訪問を招かれ、そこには各校から集まった数百人の生徒たちと共に、バーバーを一目見ようとする大勢の人々が集まっていた。1学校の校長はバーバーに、いつ沈黙を破ってお話しになるのかと尋ねた。
バーバーはいたずらっぽい微笑を浮かべながら、アルファベット盤に「四ヶ月後です」と綴り示した。
その後、群衆がアルバーブ・クシュラヴの家を取り囲んだため、バーバーは食事をとることもできずに抜け出さざるを得なかった。群衆が師の出発を知ると、幾人かの目には涙が浮かんでいた。別れを告げることはかなわなかったが、その涙の中にバーバーへの想いが宿っていた。
翌朝9時にケルマンの町に着くと、バーバーは車を車庫に入れさせ、マンダリと共に扉を閉ざしたままその中に留まった。
バーバーはこう説明した。「私はこの町に留まりたくありませんし、誰にも会いたくありません。ですから、誰一人として私のもとに来ぬよう気をつけてください。」
用心を重ねたにもかかわらず、ルストム・ソフラブ・イラニという一人の男がバーバーの到着を知るところとなった。彼は自身の豪奢な邸宅に留まってくださるようバーバーに懇願したが、バーバーは断った。そこでルストムは、せめて自宅を訪ねてくださるよう心から願い、人目に触れない別の出入口があると保証した。これにもバーバーは応じなかった。
しかしバーバー到着の報は広まり、メヘル・バーバーに会おうと大勢の群衆が車庫の外に集まった。群衆を解散させるため、警察を呼ばねばならなかった。ヤズドで師を讃える大規模な催しが行われたため、人々はバーバーのペルシア行を知るところとなり、多くの者が国の支配者レザー・シャーがバーバーに会うことを望んでいた。一部の者たちはこの会見の実現に熱心であったが、バーバーは断固として拒んだ。2
一行は1929年10月30日水曜日の早朝、ケルマンを静かに発ち、バアムへと向かった。途中で停車した折、バーバーは空腹を覚え、マサジに道端で何か用意するよう指示した。しかし何も持ち合わせていないと分かると、バーバーは取りまとめ役であるラオサヘブの行き届かぬ準備を皮肉った。ラオサヘブはかっとなった。「ヤズドでもケルマンでも」と彼は怒りを込めて答えた。「ジャガイモ、バター、パン、ヨーグルト、果物を買わせてくださいと何度もお願いしましたが、あなたはお断りになりました。道中ではそうした食べ物が手に入らないと、私はよく分かっていたのです。今ここで空腹を覚えられたとて、私にどうしろとおっしゃるのですか?草か干し草でもお出ししろと?」
脚注
- 1.貧しいゾロアスター教徒の少年少女のためのマーカー孤児院と学校は、ボンベイの慈善家P・D・マーカーによって設立されたものであった。
- 2.イラニ大佐は1926年4月、レザー・パフラヴィーがイラン国王として戴冠式に臨んだ折、インドのゾロアスター教徒を代表する公式使節団の一員としてペルシアを訪れ、その際にレザー・シャーと会見していた。
