第8章: 活動の終息
1929年· ババ 35歳ページ 1,041 / 5,444
バクティ・ヨーガとカルマ・ヨーガを共に修めれば、なお良いのです。ただし、私が説明した通りの方法で行わねばなりません。この二つのヨーガには、神を実現するために、全身全霊の切なる渇望と無私の献身が必要です。
ある者が尋ねた。「瞑想する時、誰の名を念じるべきでしょうか?ある人々はラーマと言い、ある人々はクリシュナと言い、またある人々は神の名 — パラマートマやイーシュワルの名を口にします。どれが一番良いのでしょうか?」バーバーは説明した。
誰の名でも念じてください — ラーマ、クリシュナ、イエス、ムハンマド、仏陀、あるいは神でも構いません。しかし、あなたはどのようにして神の名を念じるおつもりですか?ラーマやクリシュナ、あるいはその他の預言者の誰かを念じる時、あなたはその姿を心の眼前に思い浮かべることができます — しかし神についてはいかがでしょうか?ただ名を念じるだけでは、何の意味もありません。一心不乱の献身をもって、神の姿を眼前に思い描きながら行うべきです。いかなる形であれ、神の姿を眼前に置かれるならば、それは容易になります。ただ神のみを思いながら、どうして集中できましょうか?アバターやサッドグルの相応しい姿を、あなたの眼前に置かねばなりません。
心が彷徨ったまま、たとえ十二年もの間、オウムのように「ラーマ、ラーマ、ラーマ」と唱え続けても、何の価値もありません。グルがいらっしゃるならば、そのお姿を眼前に保ってください。これが最善です。
その帰依者は続けて言った。「私は集中するのが難しいのです。どうか祝福を与え、そうできるようにしてください。」
「私が取り計らいましょう」とバーバーは約束した。「念じて坐している間は、私に集中してください。私の姿をあなたの目の前に保ってください。そうしてくだされば、残りは私が取り計らいましょう。」
多くの宗教書を読み、霊性に真の関心を抱く一人の教育を受けた男が、ドゥリアでバーバーのダルシャンを受けに来た。彼は書物を読むだけでは満足できず、世を捨てたいと願ってはいたが、性欲が消えないと認めた。その男はバーバーの祝福を求めた。師は説明した。
放棄は霊的な道への踏み石です。放棄が芽生えるや否や、巡礼者は〈道〉に踏み入ります。しかし、そのような放棄は最も困難なものです。容易なことではありません。その理由は、あらゆる動揺の根である心(マインド)を止めねばならないからです。
心が消滅した時にのみ、放棄が起こるのです。しかし、心が止まることも、取り除かれることも、容易ではありません。それは、ヒマラヤを頭の上に担ぐほどに難しいのです!
心の苦しみが去らねばなりません。そうしてはじめて〔完全な〕放棄が訪れます。この心の呪いを取り除くためには、ご自身を忘れるほどの神聖への渇望を抱くよう努めるべきです。
