第8章: 活動の終息
1929年· ババ 35歳ページ 1,022 / 5,444
1929年5月8日水曜日、バーバーは学校のヒンドゥー教徒の子どもたち(その大半は不可触民であった)を呼び寄せ、これから出かける旅について彼らに知らせた:
「私が戻るまで、あなた方は皆、自分の家にいてください。アフマドナガルにも、その他のどこにも行ってはいけません。仕事が見つかればよし、見つからなければバジャンを歌って時を過ごしてください。私が戻ってあなた方を呼び戻すときには、必ず来てください。私は一月か二月のうちに戻ります。私の言うとおりにすれば、あなた方は益(やく)を得るでしょう。私は私がなすべきことをします。私はあなた方のために仕事を ── 運転手、機械工、印刷工として ── 探してさしあげます。しかし今は、私の言うとおりにしてください。」
全員が同意した。サダク・アシュラムの求道者の一人であったシャンカルナトは、少し前にベナレスから戻っていた。シャンカルナトはメヘラバードに留まる決意を曲げなかった。バーバーは最終的に同意したが、シャンカルナトに一日十二時間瞑想するよう命じた。シャンカルナトはその条件を受け入れた。
その日の正午、バーバーはアリ・アクバル、ブアサヘブ、チャンジ、チャガン、グスタジ、マサジ、ペスを伴い、車でアクバル・プレスへと向かった。旅の行き先について話し合いが行われた。いくつかの提案が出されたが、どれもバーバーを満足させるには至らなかった。バーバーはリシケシュへ行きたいという意向を示し、議論を締めくくった。
ラムジューとベイリーは一行と共にアクバル・プレスまで行ったが、その後メヘラバードへ戻った。ラムジューの妻と子どもたちはプーナに留まった。アガ・アリ、チョータ・バーバー、ダストゥール、ラオサヘブ、シドゥとそのほかのマンダリは下メヘラバードに留まり、プレム・アシュラムの他の少年たちとジャルバイは丘の上へ戻った。シャハネ家とボマンジ家はファミリー・クォーターズに留まった。
5月9日、バーバーは車でアフマドナガルを発ってナーシクへ向かい、そこでメヘラ、ナジャ、コルシェード、スーナマシ、ダウラトマイ、ワル、フレイニー、そしてルストムとパドリに会った。バーバーはパドリをボンベイへ送り、自身がインド北部 ── ヒマラヤ ── を巡回している間、ルストムにはナーシクの女性マンダリの段取りを引き続き見るよう命じた。
1929年5月10日金曜日、バーバーと一行はバスでマンマドへ向かい、そこからハルドワール行きのデリー・アラーハーバード急行に乗った。道中、バーバーは時間つぶしにチェスやトランプを楽しんだ。
カンドワ村の近くで事故が起こった ── 一人の男が列車に轢かれて重傷を負ったのだ。大勢の人々がその男の周りに集まった。
